にやり。
にやりにやり、にやにやり。
笑顔。
笑顔大好き、もう少ししたら、笑顔になれそう。
笑顔。
笑顔大好き。
笑いたい。
楽になりたい。
笑いたい。
・・・・。
にゃはは。
僕はにゃはは。
俺はにゃはは。
現在、8月6日火曜日、午後8時半。
家にいます。
自宅にいます。
僕の部屋にいます。
俺の部屋にいます。
笑顔ではない。
今現在の僕は、笑顔ではない笑えていない。
にゃはは。
にゃははではない。
割と、「クレイジー」な表情をしている。
割と、「非健常者的な」顔を今現在の僕はしている。
kwsk。
詳しく。
詳しく、これから語っていく。
詳しく、ここから語っていく。
画面の向こうの君へ。
ブサイクだったり美人だったり、ブサイクだったりイケメンだったりしている君へ。
僕を伝えていく。
今の僕を・クレイジーな僕を、語っていく。
どうぞ、よろしく。
今夜も、よろしく。
結論を言えば、「片目をつぶって」」、僕は今、このブログを書いている。
違う観点から言えば、「片目は開けて、」僕は今、このブログを書いている。
画面の向こうにいる君は、まだ、生きていますか?
画面の向こうにいるであろう君は、まだ、死んでいませんか?
にゃはは。
はは。
片目をつぶりながら。
右目だけを開けながら。
左目をつぶりながら。
僕は今、この文章を書いている。
これは、僕が頻繁に用いる「戦法」だ。
「片目閉じ戦法」は、ほぼ、毎日僕は使っている。
主に、「暗闇時間」で使っている。
横になる方の、「暗闇時間」で僕はほぼ毎日、「片目閉じ戦法」を使っている。
(「横になる方の暗闇時間」→帰宅して、頭痛が収まるまでベッドに横になり続けている時間のこと。頭痛を早く収めるために、この時間、目を閉じてアイマスクをして、暗闇の中時を過ごす時間が長いため、暗闇時間と僕は呼んでいる。)
僕の頭痛は、僕が目を開けることを制してくる。
僕の頭痛は、僕が目を開け続けることを禁止してくる。
僕の頭痛は、異常だ。
僕の頭痛は、かなり異質だ。
基本的に、僕の頭痛は収まることはない。
僕の頭痛は、一般的などの頭痛のカテゴリーにもあてはまらない。
理解してもらえないかもしれないが、ほぼずっと、俺の頭は痛み続けている。
その痛みが弱くなったり強くなったりするが、弱くなったとしても、そこに痛みはある。
一般的な頭痛と言えば、頭痛が全くなくなる・頭痛が全く収まる時もあるのが普通だ。
てか、そうじゃないと、「ヤヴァイ」でしょ。
ずっと、頭が痛み続けるなんて、そんなん、聞いたことないし。
ずっと、頭の痛みが鳴り続けるなんて、そんなん、例がないし。
そうなんよ。←ww
俺的にも、驚きなんよ。
信じてもらえてないんよ。
理解してもらえてないんよ。
困るけど、まあ、何とか、僕は、乗り切ってるんよ。
・・・・。
ふふふ。
・・・・。
ははは(微笑)。
僕の頭痛は、「異常」。
僕の頭痛は、きわめて「リアケース」。
検査をしても、何の異常もない。
外見上、医学的、俺にはなんの異常もない。
俺の頭痛は医学的、「ないこと」になっている。
そうすると、「精神的」なことのせいにされる。
実際、「証拠」が見つからないのだからしょうがない。
僕だけが、僕の頭痛を知っている。
僕だけが、止むことのない「絶望的な」頭痛と戦っている。
よく、働けてんな。
いやあ・・・。
実際、そこらへん、・・・的な。
「頭痛の程度」を、もっと分かってもらわないといけないよね、そこんところ。
頭痛の程度、すごく伝えづらいんよ。
俺だって、今の自分に何が出来るか、その時の頭の痛みに大きく左右されて。
どのくらいの頭痛なのか。
それは僕自身、すごく「曖昧」。
簡単に絶望さを伝えると、この異常な頭痛が発症してから、およそ5年間ぐらいは、俺はほぼ、『寝たきり』だった。
寝たきり、はちょっと言い過ぎかな。
てか今現在も実質、寝たきりみたいなもんだから。
あーあ、この「頭痛の程度」を君に伝えるのが、すごく難しい。
俺にもう少し文章力と、俺のこの頭痛がなくなれば、もう少し君に正確に、俺の頭痛の具合を伝えれるのだけれど。
頭が痛い時、伝えようと思えるか?
例えば、3日寝ずに過ごしてた状態の頭の状態。
3日寝ずに過ごしたら、君の頭、すごくガンガンしているじゃん。
あの状態で毎日、生活できますか?
3日寝ずに過ごしたら、今の自分が正常が異常がどうかも、「曖昧」になってしまうじゃん。
正確な自分が、測れる状態じゃないじゃん。
まとまな人間活動、出来ないじゃん。
3日寝ずの状態の頭が、僕は24時間続いてる感じ。←言い過ぎ~
これ言うと、言い過ぎだけど、それが分かりやすいかな。
基本的に24時間、僕の頭から「痛み」が取れることはない。
ずっと、僕は頭が痛い。
起きてから寝るまで僕はずっと、頭がボーっとしてる。まともな「思考」が出来ない頭の状態でいる。
それでこの文章書けてるの、凄くない?←ww
実際、こんだけの文章書くだけでも、結構頭痛いんだよね。結構頭疲れてしまうんだよね。
かなり「頑張って」、僕はこの文章を書いているんだよ。
かなり意識ぼやけた状態で、僕はこの文章を書いているんだよ。
ただ、こう書くとすごく「深刻」そうに見えるけど(実際、深刻だが)
頭痛がある程度、収まってくれる時もあって。
(収まると言っても、消えることはない。)
ある程度収まってくれる時、僕は「幸せ」を感じれるんだ。
ある程度収まった時、僕はまた、何もかも「忘れて」しまっているんだ。
・・・・。
「頭痛の程度」
どのぐらいの痛みなのか。
痛みが落ち着いている時、それはどの程度なのか。
痛みがひどい時、それはどの程度なのか。
ここら辺を詳細に、このブログを通じて画面の向こうの君に伝えていこうと思う。
簡単に説明できないというか、その説明が出来るほど、頭が回らない。
またある程度頭痛が収まって、少し頭が回っている時、頭痛のことを考えたくない直視したくない。
僕の頭痛について説明するのは、すごく難しい。
僕の頭痛の程度を君に説明するのはすごく難しい。
どの程度僕が出来るのか。
どの程度僕が活動出来るのか。
それが「身体的な」障害でない分、伝えにくい。
頭が痛くても、走り回れる。
頭が痛いことは、外見上他人には分からない理解できない。
「内側の」障害。
だからそれは、精神的な障害とも捉えられるし、実際、頭痛はひどく、自分の心に「作用」していく。
頭痛はかなり、「ネガティブな映像」を俺に見せつける。
頭痛はかなり、精神的に俺を追い詰める。
頭痛はかなり、「精神的余裕」を俺から奪う。
「頭痛の程度」。
それはいわば、「精神的な程度」についても説明していかなければいけない。
3日寝ずに起き続けても、仕事をすることは出来るだろう。
3日寝ずに起き続けても、「元気」であり続けることは出来るだろう。
しかしそれは確実に、精神的身体的「歪み」を自身にかけていくだろう。
外見上とても元気に見えても、その後とてつもなく「負荷・ストレス」を自身にかけていくだろう。
だから、難しい。
頭痛を説明するのは難しい。
俺の頭痛の程度を、君に説明するのは難しい。
ひどくレアケース。
医学的には存在してない、俺の頭痛。
しかし俺の頭は痛み続ける。
精神的な病ではないかと言われてしまう。
うう~。
それならそれでいいけど、じゃあどうやって、この頭の痛みが取れるのだろうか。
この頭の締め付けは、僕が何か「幻覚」を見ているだけなのだろうか。
幻覚な方が、まだ『楽』なのに。
精神的な病であった方が、まだ「気楽」なのに。
俺が20歳辺りの頃、この「頭痛」は発症した。
一通り色々な病院に行っても、原因は分からず・一般的な頭痛の症状は発見出来ず。
僕は絶望した。
そこから5年間、ほぼ「引きこもり」だった。
一応今は、「社会」に参加している。
社会に参加しているふりをしている。
頭の痛みが取れぬまま、健常者どもと一緒に働いて。
まともに「思考」出来ない状態で、人並み以下の仕事を人並み以下でやっている。
適当に働いている。
てか、早く家に帰りたいと思い続けてる。
頭を働かせないで働いている。
時々虚しくなる。
かなり虚しくなる。
健常者どもが羨ましくなる。
頭の痛みがない人どもが、羨ましいと思う。
僕は違う。
僕は、ずっと戦っている。
僕は、「余裕」がない。
僕は、僕以外に「興味」を持てる余裕がない。
僕は、僕の頭痛で頭が一杯だ。←頭痛だけに。←w
僕が、僕以外にあまり興味がない。
自分が「気楽」ならそれでいい。
痛み止むことない頭の中で、「気楽な状態」が少しでもあればそれでいい。
僕はあまり望んでいない。
僕は、休めるのならそれでいい。
僕は、身体を楽にして、横になれればそれでいい。
目を閉じれれば、それでいい。
すごく、『下』の方に僕はいる。
すごく、「深海」に僕はいる。
すごく、「海底」に僕はいる。
僕にとっての幸せの概念は、少しでも頭痛が収まった状態が続くこと。
それが、どれだけ「幸せ」か、僕は知っている。
頭に「痛み」がないことが、どれだけ「幸福」か、僕は知っている。
というか、ぶっちゃけ、頭痛がひどいと、誰かを羨む余裕もない。
そして頭痛が少し晴れれば、その「幸せ」さに、僕は『絶頂射精』している。
そこで、あまり望まない。
(巨乳美人な彼女は望んでいる。このブログを読んでいる名古屋在住でそういう方がいたら、ぜひお声かけて下さい)←ww
頭痛が少し止んでくれた「平穏な世界」を、僕は悦な表情をしながら満喫し続ける。
健康なら、いいじゃん。
まともな「身体」持っているなら、幸せじゃん。
健常者は求めすぎる。
健常者は自分の幸せに気づいていない。
まとまな身体があるということが、どれだけ「幸福なこと」か彼らは知らない。
僕は知らない。
僕はあまり、彼らと関わりたくない。
僕は、僕を満喫したい。
僕は、苦しい時はただひたすら、頭痛に耐えていたい。
頭痛が少し収まったら、自分を満喫したい。
可哀想な僕。
惨めな僕。
でも割と、最近は好きになってきたよ。
僕しか、僕を知らない。
そしてそんな僕は、まだ全然僕を知らない。
『制限』されることで、見える景色もある。
『異常』になることで、正常では見えてこなかった考え方・捉え方が見えてくる。
僕たちはそんなに、幸不幸の「差」はない。
とても「残酷」に、僕たちは平等だ。
とても悲し気に、僕たちは平等だ。
満たされては、それを失くした時、幸福でなくなってしまう。
満たされてしまっては、その「満たし」を失う「機会」が生じてしまう。
満たされてしまっては、満たされ続けなければいけない。
新しい幸せは、新しい不幸を呼んでくる。
バランスがいい。
僕たちは残酷に、「平等」だ。
得る機会ありは、失う機会あり。
『永遠』は、誰にもない。
永遠は、誰も辿り着けることは出来ない。
みんなどこか、「さまよって」いる。
みんなずっと、「探して」いる。
みんな「終わり」がない。
みんな、「終点」がない。
みんな日々、「仮宿」に泊っている。
みんな日々、「恐怖」とすぐそばに向かい合っている。
よかった、そんなに「差」がなくて。
よかった、みんなは、みんなであり続けて。
僕は笑う。
僕の心の根は、笑い続ける。
どういう風にして、この僕の「精神」が出来上がったのか培ったのか。
親の遺伝か。
これまでの環境・過去・バックグラウンドか。
僕の精神の根底には、「fun」がある。
この性格に、僕はとても助けられている。
あまり、「絶望」には染まらない。
99%絶望に染まっても、その状況を笑い楽しむ裏な自分がいる。
そういう「精神構造」を兼ね備えて、俺はだいぶ助かっている。
そういう、「精神的な隙間」が俺の心のどこかのスペースにあって、俺は追い込まれた時でも、俺を「俯瞰(ふかん)」し続ける。
どこまでもどこまでも俺は、俺自身を「観察」したいらしい。
変な性格。
だから、助かっているけれど。
にゃはは。
・・・・。
だいぶ、話がズレた気がする。
片目を閉じる理由とかも、まだちゃんと説明していなかった気が。
(簡単に説明すると、頭が痛い時は目を開けていられなく、しかしそれでも何かをしたいから、片目だけ閉じて何かをする。「暗闇時間」の間も、ずっと両目を閉じていてはラジオぐらいしか楽しめないから、片目を閉じて、俺はタブレットでYOUTUBEとか見てる。両目を閉じるよりも、疲労回復は遅いけれど、暗闇の中でただただ頭痛収まるのを耐えているのはかなりしんどいので、片目を閉じる。片目を閉じるだけでも、だいぶ頭の休みは取れる。両目閉じているよりも取れないが、両目閉じているのはキツイので、片目だけ閉じて、少しでも頭を休める。もう、説明下手っ)
一旦休憩。
今日もおつかれ。
今日もよく、生きたね。
にゃはは。
風呂入ってきます。