ちょwwww
wwwwwwwwwww
うふうwwww
ちょwwwww
今日一本目の日記、暗すぎワロタ。
・・・・。
まあ、暗いんだけどね。
今もわりかし、暗いんだけどね。
「気持ち」が、結構、「頭痛」に左右されちゃうんだよね。
その左右も、結構、「曖昧」で。
この「頭痛の程度」。
ぶっちゃけ僕自身も、正確には掴めない。
ずっと頭は痛み続けている。
痛み続けているんだけど、その痛みの「強弱」はある。
痛みが「弱」になれば、心の余裕が出来て笑えるし健常者に近づけるし。
痛みが「強」になれば、ただただ「絶望」しかない。
痛さの具合。
痛さの程度。
それは身体の疲れと心の疲れが主に左右していく。
頭痛と身体と心。
この3つの混じり具合によって、今日の僕の「頭痛具合」は決定されていく。
この3つはお互い作用し合っていく。
その3つのバランスや調子を、僕は正確には捉えることは出来ない。
現在の痛みがどれが一番の原因なのか、それらをいちいち正確に捉えるのは難しく、もうそんなんあまりしたくない。
僕は何もしたくない。
僕は何も考えたくない。
僕は何も想いたくない。
これが、僕の基本的な立ち位置だ。
何もしたくないという状況から、僕は想っていく。
何も考えたくないという「心理空間」「精神空間」から、僕は存在し始めていく。
「暗闇」から僕は始まっていく。
「無」から、僕は「呼吸」し始めていく。
だから、すべてが面白い。
だから、動くものすべてに面白さを感じれる。
僕は暗闇から始まっていく。
僕は無から始まっていく。
僕はよく、目をつぶる。
家に帰ればまず、ベッドに横になって目をつぶる。
僕はアイマスクをして目をつぶる。
目をつぶった世界は優しい。
暗闇世界は愛おしい。
見ないということが、こんなに「尊い」ものなんだということに、目をつぶり続けると見えていく。
そしてまた、何かを見るということが、とても「素晴らしい」ものだということに気づいていく。
目を閉じることで、どちらも見えてくる。
目を閉じることで、見ない世界・見る世界、どちらの素晴らしさも分かってくる。
どちらも価値がある。
どちらも同じくらい、尊い世界。
目を閉じる時間が、僕は多い。
暗闇の中で息づく時間が、僕は長い。
目を閉じると、「安心」していく。
ベッドに横になって、身体休めて目を閉じてアイマスクすると、とても「平穏な世界」が訪れる。
何も求めないことが素晴らしい。
動けない動かないことが愛おしい。
ただ息づくだけで・ただ横になっているだけで、とても「幸福」を感じていく。
頭痛は強制的に、僕の目を閉じさせる。
目を開けていては、辛いから。
目を開けていては、頭の痛み強く意識し続けるから。
目を閉じていても、頭痛はする。
しかしそれは、目を開けている時よりかは、「軽め」になるというか。
痛みが「全体化」するというか。
自分の身体全身で、頭痛の痛みを負うというか。
目を開けていると、頭の痛みが全部、頭に負わせてしまう。(頭痛だから当たり前なのだがw)
目を閉じることで、頭の痛みを全身で支える。
目を閉じることで、頭の痛みを自分全体で負担していく。
頭痛のせいで、僕は目を閉じる時間が多い。
クレイジーな頭痛のせいで、僕は「見えない世界」・「暗闇世界」にいることが多い。
幸せか?
そんなに幸せではないだろう。←ww
でも、そこで、「楽(らく)」を感じるんだ。
目を閉じていることが、幸せに感じるんだ。
強の頭痛が弱になるまでただひたすら耐え待ち続ける時間が、愛おしく感じてしまうんだ。
Mかな。←ww
俺、Mかな。
Mかもしれない。
Sだと思っていたけれど、俺はMなのかもしれない。
頭の痛みを享受することで、見えるものがある。
頭痛のせいで目を閉じなくてはいけなくなることで、感じられるものがある。
そこで見えてくるものが愛おしい。
そこで感じられるものが、愛おしい。
自分が健常者だったら、見えなかった世界だ。
自分にこのクレイジーな頭痛がなかったら、知らなかった世界だ。
辛いけど、時に面白い。
痛いけれど、不幸だけれど、幸福ではない、ということではない。
幸不幸を決めるのは、心の安定さ。
心の安定さで言えば、目を閉じて頭痛を耐えている時間は、どちらかというと「安定」している。
ひどく低いところで、安定している。
ひどく呪われたところで、安定している。
ひどく深海じみたところで、安定している。
地獄から見上げた地上の世界はとても美しく見える。
俺はわずかでも、起き上がることが出来るから。
健常者の人たちよりかは少ないけれど、俺は「普通に近い形で」生きることが出来るから。
健常者と非健常者のはざま。
健常者と非健常者を行ったり来たり。
僕はどちらも体験している。
僕はどちらの顔も持っている。
知らないことは不幸だ。
知は「幅」を生む。
知は「思考空間」を広げていく。
不幸だけど幸福。
幸福だけど不幸。
僕はどちらも知っている。
僕はその二つを、めまぐるしく行ったり来たりしている。
すごく「曖昧」に。
すごく「鮮明」に。
僕は生きている。
・・・・。
疲れた。
そろそろ寝ます。
また明日。
また明日、また、想えるといいよね。
伝えるのって、難しいよね。
たぶん、「嘘」が多く混じっているだろう。
たぶん、「矛盾」が多く混じっているだろう。
それは嘘や矛盾というよりも、正確に伝えられていないだけだろう。
僕自身、僕を「曖昧」にしか捉えていない。
僕自身、僕が分かっていない。
正確には伝えていない。
本当のことしか言ってないけど、100%本当のことは一つも言ってない。
伝えるって、難しい。
アウトプットって、難しい。
でも、楽しいよ。
僕はこれまで、「本当の僕」を言うのを避けてきたから。
自分の「異常な部分」「非健常者な部分」をさらけ出すのを避けてきたから。
それは恥ずかしいと思っていたから。
健常者ではない自分が醜いと思っていたから。
健常者だと思っていたから。
自分が健常者ではないと認めたくなかったから。
外見上、俺の頭痛は誰にも分からない。
外見上、俺の頭痛は誰にも理解されない。
辛い。
普通に振舞うことが、ひどくしんどい。
普通なことが出来ないことが、ひどく惨めだ。
僕は吐き出したかった。
僕は僕を吐き出したかった。
「本当の自分」を、僕自身知りたかった。
よかった、ここまで生きてこれて。
よかった、まだ死んでいなくて。
よかった、よかった。
・・・・。
おやすみ。
またね。
おやすみ。