8月10日その3「そういえば、ちゃんと心傷ついたこと、一回もないかも。」

・・・・。

あ。

・・・・。

あ。

・・・・。

射精したいい射精したい射精したい射精したい。

・・・・。

死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね。

(話少し外れるけど、キーボードで「死ね」と入力する時の、両手の両指押す感じ・押すリズム、結構気持ちいいよね。大体、左手の薬指から始まり右手の中指へと流れていく感じ、割と快感です。)

・・・・。

死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね。

射精したい射精したい射精したい射精したい多分寝る前に射精する。

・・・・。

プンプンですよ。

おこおこですよ。

怒っています。

僕、怒っています。

主に、自分の「頭痛」に関して。

まるで女心のような僕の頭痛に関して。

自分でも、頭痛の調子がいまいちつかめない。

大丈夫かなと思ったら、さっきみたいに(本日の日記その2)想えないぐらい、頭痛かったり。

仕方なくまた僕はやはり、一度ベッドに横になって。

また「暗闇時間」に戻って。

また「暗闇」に身を閉じて。

死ねですね。

死ねですね。

射精したい射精したい射精したい。

・・・・。

一歩進んだと思ったらこうやってまた、10歩ぐらい後ろに下がっていく。

すごく俺を「拒む」、俺の愛しの頭痛。

すごく俺を邪魔してくる、可愛い可愛い俺の頭痛。

すごく振り回されちゃう。

すごく「後退」させられちゃう。

友達が、こいつしかいない。

親しい奴が、この一つの身体に共生しているこの「頭痛」しかいない。

憎い。

殺してえ。

射精してえ。

まるで「蛇口」がつまっているような。

閉じ込められているような。

退化しているような。

自分だけ、今ではなく少し前に生きているような。

また僕は、ひとりぼっち。

まあそれが、少し嬉しいのだけれど。

あまり、比べる必要なくなるから。

あまり、他人の「幸せの尺度」に合わせる必要ないから。

なるほど。

僕は僕の頭痛によって少し、「ずらされて」いるんだ。

だから、僕の心は「落ち着いている」のかもしれない。

(数分の遅刻だが焦るが、数時間の遅刻ならもう達観してゆっくりするように。)

僕は、みんなの「今」に合わせていないんだ。

僕は、「みんな一緒に」から、少し離れているんだ・距離を置いているんだ。

これがこの、頭痛が原因であろうか。

うーん、元々、というところもあるけれど。

元々、僕の性格がこういうところもあるけれど。

それを頭痛が、「加速」させたというか。

それを頭痛が、「促進」させたというか。

僕は、みんなについていっていなんだ。

僕は少し、「後退」しているんだ。

僕は少し、「俯瞰」しているんだ。

自分の性格が元々、「ゆっくり」しているのだろう。

遺伝かな。

でも、親とも少し、違っているけど。

俺の親は、もう少し、「人並み」だけれど。

親と、時代か。

遺伝と、育った環境が、僕をこういう風に創ったのか。

過去に「根拠」を探して。

自分の過去を巡って。

何故、僕はこういう「性格」なのか。

何故、僕はこういう「思考構造」を形成されたのか。

自分を巡って。

・・・・。

小学生高学年とか中学生初期を思い出してみたけれど、その頃からある程度、僕はこんな感じだったのだ。

僕は少し、浮いていた。

僕は少し、「距離」を置いていた。

どちらかというと、「のんびり」としていた。

その頃からどこか、常に「違和感」と対峙していた。

「そうあること」を、そうと素直に受け入れなかったり。

皆が当たり前のように受け入れていたことをそのように表現できなかったり。

中学生の友人が中学生らしく振舞っていることに「吐き気」を感じたり。(狂ってる?それ誉め言葉ね。)←w

僕は人より、想わなかった。

何かのアクションに対して、即座に反応することが出来なかった。

違和感。

何か気持ち悪い。

ただその何かが分からないから、「出口」が見当たらなくて。

だから、早く「地元」を出たかった。

早く「東京の大学」に行きたかった。

早く親を離れたかった。

早く「ひとり」になりたかった。

息苦しかった。

自分が気持ち悪かった。

・・・・。

この話、一旦やめよう。

・・・・。

今は気楽だ。

この頭痛という、ヤヴァイ病気を持っているけれど、そこまで「絶望」はない。

昔に比べれば、僕は「解放」されている。

中学・高校の時の比べたら、僕はだいぶ、「僕らしく」生きれている。

だから、今の僕は割と「幸せ」と思っているのかもしれない。

あの時と比べて。

あの、ただただ『気持ち悪かった』、学生時代と比べて。

何が気持ち悪かったのか。

何が、そんなに俺を「殺して」いたのか。

・・・・。

やっぱり、学校という「空間」が、嫌いだったのだろう。

「集団」が、僕は嫌いなのだろう。

あそこで、何かしらの「アイデンティティー」を培わなければいけない雰囲気が、とてつもなく気持ち悪かったのだろう。

あそこの中で、「生きる意味」を見いだしていけなければいけなかったのがたまらなく嫌だったのだろう。

なるほど。

今の僕の「孤独」が、「不幸せではない」のもうなずける。←馬鹿っぽいw

僕はこういう人間だったんだ。

僕の「定位置」は、自分の暗い部屋でひとり想う僕だったんだ。

集団の中での立ち位置なんて、はなから無理だったんだ。

集団の中での役割なんて、僕は無理だったんだ。

僕は「外れて」いたいんだ。

僕は集団から、「距離」を置いていたいんだ。

それこそが、僕の「距離」なんだ。

集団から少し距離を置いていることが、僕の中での集団における立ち位置であり役割だったんだ。

強い関係性・深い関係性が苦手だったんだ。←マジコミュ障やんけw

ふ~~ん。

他人の想いの中に自分が介入するのも嫌いだし、自分の想いを他人に挿入するのも嫌いなんだ。

僕はたぶん、「自分の色」がかなり好きなんだ。

僕は自分の思考空間を何よりも愛していたんだ。(思考空間って言葉勝手に作って使ってるけど、通じてるンゴ?)

告白すると、僕は人の顔を見て話すのが苦手だ。

・・・。

これ言うと、たぶん引かれると思うけど。

僕の思考空間はすでに美しくて、そこに他人の顔を入れると僕の思考空間が「穢される」から。(はい、ドン引き~。)

美しいというか、『静か』という表現の方が正しいかも。

僕は静かでありたい。

僕の頭の中は出来るだけ、白紙に近い形でありたい。

他人の顔を直接見ると、その白紙が汚される。

他人の顔を直接見ると、僕の静かな想いに「雑念・雑音」が入る。

・・・・。

こうやって文章にして自分の想いを見て気づくけど、やっぱり僕って、『いびつ』だよな。(にやにや)

これやっぱり、精神的に問題あるかも。←ww

でも、「静か」な方が良くない?

みなさんは自分の想い・自分の頭の中・自分の思考空間を、どう思っているのかな。

自分の頭の中は、出来るだけ「整理整頓」されていた方がよくない?

自分の頭の中は、ごちゃごちゃしてたら「イライラ」しない?

だから僕はどちらかというと、あまりイライラしないというか。(毎日死ねとか殺すとか言ってね?)

例えば、イライラしていたら、そのイライラしている自分をさらに上から覗いているというか。

複数の自分が自分の中にいて。

複数の自分が複数の自分を監視し合っているというか。(俺のことか?)

一つの自分で自分を括らないというか。

複数の自分を所持しておいて、いわば「保険」にしておくというか。

こういう「精神構造」って、何か呼び方あるのかな?

こうやって、自分の想いの中を飛び交うのが、僕は好きなんだよね。

こうやって、頭の中で自分同士でパスを投げ合うのが、僕は好きなんだよね。

自分の頭の中で、もう十分、お腹いっぱいというか。

頭の中で色々な自分をくっつけたりぶつかり合ったりキスし合ったりすることで自分を検証して、自分を「安心」させていくというか。

僕たちの「本体」は、「そこ」にしかないわけじゃん。

僕たちの「核」は、僕たちの想いの中にしかないわけじゃん。

だから、それに興味がわくというか。

自分が何を考えているか。

どういう理由で・どういう経緯でそれを想っているか。

そういうのを考えるのが、僕は好きです。

・・・・・。

ファック。

ファック。

死ね死ね死ね死ね。

射精射精射精。

・・・・。

だからあんまり、僕は「寂しい」という感情が分からないかも。

普通より、「寂しい」という感情が薄いかも。

というか、これ以前の日記でも言ったけど、僕たちってすでに「想いで繋がっている」から。

友達とかが多くいても、それらと久遠に身体的に繋がっているわけではないでしょ。

友達と永遠に抱き合っているわけではないでしょ。

心の問題でしょ。

精神の問題でしょ。寂しいか寂しくないかって。

それなら僕たちの多くってすでに、インターネットとか使って「共有」し合ってない?

「想いのイチャイチャ」、ずっとし合ってない?

例えば恋人がいても、例えば子供がいても、「永遠に」繋がっているということは出来ないわけだし。

それは、「だましだまし」なわけだし。

恋人がいない人と比較して・子供がいない人と比較して「一瞬」、自分は繋がっていると感じるかもしれないけれど。

永遠は誰にも訪れない。(もしかしたら死んでから)

僕たちは何度も、切り離されている。

僕たちはどうしても、「ひとり」に陥ってしまう。

恋人がいたり子供がいる人を想って、その人たちが「繋がっている姿」を想像しがちだけど、実際のところその人たちもまた同じように、くっついたり離れたりを繰り返している。

繋がっているシーンを想像しているのは、僕たち自身の頭の中で。

それはいわば、繋がりの例・繋がりがそうであるようを・繋がりの理想郷、僕たち自身が想像しているだけで。

僕たちは全員、その間隔は様々だけれど、切り離されていく。

そういう意味で、僕たちはそういう切り離しを「共有」しているわけだし。

だから切り離されている状態で、僕たちは繋がっているというか。←ww

だから僕は、「孤独感」が薄いのだろう。

そもそも孤独の定義が、少し違うのだろう。

君が思うほど幸せな人はそんなにいない。

「永遠なる幸せの幻想」を、君の想いが合成しているだけだ。

僕たち自身の想いの方が、現実の僕たちより、「毒」を持ちがちだ。

そういう毒と、僕は日頃からおしゃべりしているというか。

夢見がちな僕たちの想い。

僕たちを不安にさせがちな僕たちの想い。(それはまあ、僕たちを応援するためにやっているとも解釈できるのだけれども。)

日々徒然。

日々徒然。

・・・・。

という感じかな、今日のところは。

おちんぽ。

おちんぽ大好き~~。

・・・・。

風呂入ってこよ。

追記。

寝ます。