8月10日その1「白紙の君へ。」

おはよう。

・・・・。

・・・・。

ははっ。

ははっ。

にゃはははははははっ。

ははっ、にゃはははははははっつ。

ふふっ。

ははっ。

・・・・。

おはよう。

今夜も、おはよう。

現在、8月10日、午後7時過ぎ。

幸せな時間。

ひとりの時間。

「君」がいることを「想定」して、想い吐き出していく時間。

・・・・。

やっぱり、仕事に行かないと、僕はだいぶ「幸せ」だな。

疲れがないと、強度の頭痛がないと、負担がないと、ストレスがないと、

僕の心はとても「平穏」で、とても静かで、とても「幸せ」だ。

ひとりでいれば、仕事に行かなければ、僕は「異常」であることをあまり意識しない。

こんな状態で、そんな長く働けるわけないんだ。

こんな頭痛の状態で、健常者と同等に、働けるわけないんだ。

やれやれ。

ふう・・・。

やれやれ。

・・・・。

僕がいる。

この「日常」には、僕がいる。

「今日」という日には、僕がいる。

今日という日には、仕事によって頭おかしくなりそうな僕はいない。

仕事がないこの日には、お盆休み1日目のこの日には、とても「心平穏な」僕がいる。

幸せの水準が、ふつうの人より、僕は低いのかもしれない。

幸せの基準が、僕は一般的レヴェルより、低いのかもしれない。

「苦しくなく生きてる」、「頭の痛みが弱まっていている」、僕はそれだけで、安らかな表情でいられる。

幸せな一日だった。

特になにもしなかったけど。

外出と言えば、市民プールぐらいしか行っていないけど。

いい、一日だった。

頭痛という「悪魔」がいなければ、僕は幸せなんだ。

頭痛という「死神」がいなければ、僕は気持ちよく、僕という「駒」を動かせていけるんだ。

僕は、いる。

僕。

僕。

・・・・。

僕。

・・・・。

僕は、僕が好きだ。

僕は僕自身を、これまで一度も「否定」したことがない。

自分自身に対して、「傷」をつけようと思ったことは一度もない。

自分を嫌いになったことがない。

自分に対して、「不満」はあるけれど。

それでもその不満というのは、「顔」ぐらいかな。

僕は自分という「器」が好きだ。

僕は僕という「宇宙(コスモ)」が好きだ。

僕は僕の、「思考空間」が好きだ。

まるですべてを見透かしているような、僕の頭の中。

まるですべてを見下ろしているかのような、僕の頭の中。

僕は僕の頭の中に、「従ってる」だけだ。

僕は僕の頭の中という「甘い汁」を、ただただ舐めさせてもらっているだけだ。

僕もまた、僕の頭の中に従っている。

僕もまた、僕の頭の中に「支配」されている。

僕を中心を生きているのは、僕じゃない。

僕の真ん中を生きているのは、僕じゃない。

まるで僕の頭の中に、「mother」がいるみたいに。(motherって久しぶりにタイピングした)

まるで僕の頭の中に、「神」or「女神」がいるみたいに。

僕は「彼ら」に、教えてもらっているだけだ。

僕は彼らに、従っているだけだ。

僕は頭痛持ちだ。

僕は、原因が分からない、極めて異常でヘビーな頭痛の持ち主だ。

その結果、僕は普通の人より、「目を閉じている時間」が多い。

ずっと、痛み続けているから。

エンドレスに絶えることなく、その強弱はあるにせよ。

僕の持病である悪質で医者でさえ原因が解明できないこの頭痛は、僕に対して久遠に頭に「痛み」を与え続ける。

その結果、僕は目を閉じざるをえない。

こうやってこの文章を書いている時でも、一節書いては一度両目を閉じて、一節書いてはまた頭が痛いから両目を閉じて。

出来るだけ、楽になるために。

終わることない頭の痛みを、出来るだけ「対抗」するために。

僕は目を閉じる。

僕は両目を閉じる。

「暗闇世界」にまた入る。

一度目を開けては、また疲れたら、一節書いたら、僕は両目を閉じてゆく。

僕は人より、「暗闇」を生きている。

僕は人より、「目を閉じている時間」が多くなっている。

僕は人より、「目を閉じた先の暗闇世界」に長く滞在している。

これもまた、「彼ら」が仕向けたのかもしれない。←ww

目を閉じなければいけなくて、暗闇世界に身を投じることでしか、見えないものもある。

目を閉じる。

それは誰にでも出来る、誰にでも時間問わず出来る一見、『何も無い・何も生まない行為』なのに。

まるでそこには、「すべて」があるような。

まるでそこには、「答え」があるような。

まるでそこには、多くの「忘れ物」があるような。

まるでそこには、目を開けていては気づかなかった多くのものが落ちているような。

僕はこの頭痛によって、仕方なく目を閉じている。

僕はこの頭痛によって、望んではなくそうするしか痛みが取れないから、しょうがなくやっている。

そこに、「学ぶべき多くのこと」がある。

目を閉じて暗闇の中に、「僕が求めるものの一部」があった。

目を閉じると、まるで『旅』をする。

目を閉じると、現実を生きる「制限」から解かれる。

目を閉じると、目を開けた世界で自分が何故それを求めていたか・何のためにそれをやっているかを、もう一度冷静に振り返れる。

目を閉じるとまるで、「今を無理に生きなくていい」。

何も見なくても何も見えなくても、「温かさ」がある。

何も見えなくても何も出来なくても、「不幸せではない」。

「みんな」に合わせる必要はない。

自分という「器」を大切にして。

自分の想いを尊重して、想い想いを一つずつ整理していって。

この頭痛を発症して、僕は多くの事を「諦めた」。

この頭痛では、多くの事が出来ないのだから。

この頭痛では、健常者が当たり前のように出来ることが出来ないのだから。

普通に絶望した。

5年ぐらい、ずっと家に引きこもり、ずっと寝ていた。

(引き籠っていたといっても、散歩とか、普通に外出はしてたけどな。でも友達いないし会話する人いなかったし。じゃあ、フリーターとかニートの方が適切かな。どっちでもいいか。)

この頭痛が発症して、5年ぐらいは、この「暗闇」の意味が分からなかった。

それはただただ暗闇だった。

それはただただ、両目をつぶるということだけだった。

だけど30近くになって、自分が健常者とは違うルートを歩み始めたと少しずつ気づきだしたとき、「暗闇時間」に、よく『想う』ようになった。

目を閉じることで暗闇に意識を傾けることで、僕は「ふつう」から距離を置いていった。

自分のペースで生き始めた。

「彼ら」に与えられた暗闇空間で、僕はただただ「これまで(過去)」に揺られていた。

自分は何者か。

何がしたいか。

何を求めているのか。

何が出来るのか。

何がしたかったのか。

どんな時であれば、辛くないのか。

何が自分を怖がらせているのか。

「暗闇」の中で、暗闇という「深海」の中で、僕はゆっくりと呼吸し続けた。

求めたいたことを、捨てていって。

求めていたことを、諦めていって。

暗闇の中では、『何ももてない』。

両目を閉じた世界の中では、両目を開けている時に生きた世界で手にしたもの、何も持っていけない。

ここでは、『想いだけだ』。

意識の中では、暗闇の中では、あるのはただ、僕の意識・僕の想いだけだ。

・・・。

なるほど。←ww

(この文章を書いてて、僕自身それに気づかされるというか。このブログの文章って、行き当たりばったりというか、先を考えて書いてはいないから。僕の脳汁が垂れるままに、そのまま書き流してる。これもまた、僕の手を離れているというか。)

だから僕は、僕の想いを大事にしているのか。

だから僕は、一般的な幸せの概念が人とズレているのか。

僕は言ってみれば、「闇の住人」なんだな。←ww

言ってみれば僕の幸せの定義が人より低いのは、自分を「守る」ためなんだな。

奇怪な頭痛に苦しむ自分を救うために、ある意味、脳が僕を「洗脳」しているというか・「教育」しているというか。←w

だから頭痛が発症して5年ぐらいは、この現実を直視出来なかったのか。

この10年で、僕もいいのか悪いのか分からないが、「変わって」いるのだな。

より、自分に優しくなっているんだな。

僕は僕に守られているのか。

発症して5年間の僕と、今の僕は変わっているのか。

あんま、変わっている自覚、なかったけどな。

僕も少しずつ、「変化」しているのか。

今の僕というのもまた、「環境」によって創られた僕なのか。

ふひひ。ふひひ。

自分を分かるって、おもしれ。

僕は僕を知りたい。

僕は、僕をもっと「分解」したい・「解析」したい。

僕は僕が、好きだから。

僕は、僕のことがとても興味があるから。

・・・・。

これもまた、僕に「仕向けられて」いるのかもしれない。

自分が好きであるように・自分に興味が持てるように、「彼ら」に仕向けられているのかもしれない。

・・・・。

・・・・。

おもしれ。←ww

・・・・。

ということで、ここで一区切り。

今日は、「あること」を多くしていた。

これは休み前、ある程度計画を立てていて、割と順調に予定を消化できた。

頭痛が「弱状態」なら、だいぶ順調に進むな。

まだ「あること」が今日で終わりきらなかったので、明日も「あること」をやっていく。

そのあることが終わったら、別にすることもあるので、休みは結構、やること多い。

ふう・・・、幸せ。

にゃははは。

それでは、休憩してきます。

今日も、ありがと。

にゃはは。