帰りたい。(死ね)
いや。
帰りたくない。(死ね)
帰りたい。(死ね)
死ね。
死ね。
死ね。
死ね。
死ね。
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね。
あひゃひゃひゃひゃひゃひゃ(あひゃひゃはやってタイピングするの難しい。しかも今夜は、いつもの自分の部屋のパソコンのキーボードではなく、旅のホテルでこうやって想い吐き出すために、重いながらもわざわざのノートパソコンを持ってきて、ノートパソコン付属のキーボードで打ち込んでいるから。こういう説明めんどうでうぜえ死ね。)
ああ。
ああ・・・。
ああ。
ああ・・・・。
死ね。
死ね。
死ね。
・・・・。
8月13日、こんばんは。
へへへ。
えへへ。
また、恥ずかしいものを君に見せてしまった。
また、醜いものを君に見せてしまった。
また、愚かなものを君に見せてしまった。
君にしか、見せられないから。
君しか、聞いてもらえないから。
僕は、ひとりだ。
それ自体は、別に、それほど「悪」なことではない。
友達がいないとか、彼女がいないとかは、僕を、そこまで「絶望」させるものではない。
やっぱり、僕の、「頭痛」がね。
この、変わることなく絶えることなく、僕を「どん底」へと突き落とす頭痛がね。
とても育ちがよい僕に、死ねだの「殺す」だのを言わせてくる。(育ちがいいはジョーク)
死ね。
死ね。
殺す。
ああ、なんて心地の良い言葉なのだろう。
死ね。
死ね。
殺す。
ああ、僕の心が、数ミクロンだけ、救われていく。
ああ、絶望の淵でひとり無様に泣き続ける僕に、死ねあ殺すという言葉が、僕の頭を少しだけ優しくなでてくれる。
幸せな人は、死ねなど言わない・殺すなど発するきっかけがない。
不幸ではない人は、死ねなど知らない・殺すなどという言葉の発祥地を知らない。
死ねや殺すなどという言葉は、SOSなんだ。
死ねや殺すなどという言葉は、「痛い想い」を抱えた人の、純真な「答え」なんだ。
その言葉には、嘘はない。
その言葉には、真実しかない。
その言葉には、泣いている人の背中がある。
その言葉には、その言葉が生まれる下地がある。
「背景」を知って欲しいんだ。
・・・・。
にゃはは。
と、少し暗い話題から始まってしまったけれど。
暗い話題から始まったのにも理由があって。
そう。
それは、このブログを読んでくれている人であれば、ある程度察してもらえるだろうけど。
今日はそんなに、調子がよくなかった。
今日の調子が悪いというか、今日とか昨日とか色々頑張った分、今この文章を書く前、だいぶ「苦しい思い・痛い思い」をしたというか。
今も、この文章は片目を閉じながら書いている。
現在、8月13日の、午後10時過ぎ。
大阪の、とあるビジネスホテル。
そう、僕は旅行中なんや。←ww
お盆休みを利用して、僕は大阪近辺を旅行中なんや。
そやで。
そやそや。
旅行中でも、こんな感じになってしまうというか。
疲れるとさ、やっぱり俺の頭痛は「加速」してしまうんよ。
ほんのちょっと観光しただけでさ、俺の頭はすぐ「ショート」してしまうんよ。
だから、旅行といっても、一日の中で散策できる時間は非常に短い。
大体、3~4時間が限界かな。
それ以上越すとこうやって、またひどい頭痛が襲ってきて、長い時間の休憩を必要とする。
まあ、一般的にいう、「暗闇時間」を過ごすってやつですな。
旅行中なのに、一日の半分はホテルで休んでいなきゃいけない感じ。
いつもの「暗闇」で、ただひたすら頭痛がおさまるのを待つ感じin Osaka.
辛いなあ。
痛いなあ、今も。
にゃはは。
こうやって、辛いって君に告白するの、大好き。
にゃはは。
こうやって、頭痛いって、君に報告するの、大好き。
にゃはは。
だって、誰も聞いてくれないのだから。
分かってくれないのだから。
(まあ、おそらく君も、そんなに理解していないだろう。僕の伝え方が下手で、たぶん説明足りていないと思うから。でも、こういう稚拙な伝え方でも、ほんのわずかでも、自分の想いを吐き出すのは、気持ちいいよ。聞いてくれてありがと。)
僕を発信できるのは、ここしかない。
僕の、稚拙な表現方法による稚拙な想いを聞いてくれるのは、ここしかない。
それが嬉しい。
この、とても惨めで終わり続けている僕に、「居場所」ともいえる場所があるのが嬉しい。
にゃはは。
少し休憩してきます。
それでは。
今日も、おつかれ。
ふふふ。
おっぱい。