心が死んでいる。
いつもの「←ww」をつけれないほど。←ww
心は死んでいる。
僕の心は、死んでいる。
現在、8月22日、午後8時前。
心が死んでいる。
言いたくないけど、疲れた。
心が開いていかない。
何かを楽しもうという意欲があまりない。
少し、「性欲メーター」は上がっている。
それは救い。
以前このブログでも言ったように、働いていると、射精する気すら起きなくなる。
射精するほど元気がない。
射精するほど、心の余裕がない。
射精出来るパターンは、大きく分けて2つある。
それは暇な時か、もしくは、僕の場合、極度に頭痛が激しく重い時。
- 暇な時について。
これは、一般的だと思う。
暇だから僕たちは射精する。
心に余裕があるから、僕たちは射精出来る。
鬱に近い人はおそらく、射精すら出来ない。
射精をするという、段階に進めない。
射精をするという、側面に向かえない。
射精ってやっぱり、する前段階で、「fun」がないと成立しない。
心が虚無っている時、射精するという思考回路に辿り着けない。
・・・・。
それ、結構面白い事実だよね。
射精って、男で言うと、ベスト3には入るぐらい、お手軽で気軽な「快感娯楽」なのに。
タダなのに。←ww
やってもやっても、減るものじゃないのに。
精神的に病んでる時、肉体的に疲れてる時、射精しようという「発想」が、思いつかない。
自分が元気な時は、自分のちんちんが大きくなっている時、めちゃめちゃ「ウキウキ」していたのに。
心が死ぬと、ちんちんも死んでいる。
ちんちんが死ぬと、心も死んでいる。
そういえば、僕、平日って、あまり「朝立ち」してないかも。
朝立ちって、ちゃんと長く睡眠時間取れた、休みの日の方が多いかも。(定かではない。)
平日の時って、俺、全然自分のちんちんのこと考えないよな。(金曜日は例外)
やっぱり、勃起して初めて、男の思考って「展開」していくよな。
勃起していないってことは、元気がないってことだよな。
勃起していないってことは、あまり生命力がないってことだよな。
・・・・。
ちょっと話戻って、射精は「fun」がないと成立しない、という僕の発言について少し掘り下げよう。
やっぱり射精って、どちらかというと、『頭を使う』ものだから。
これについては少し、以前のブログでも触れたけど。
射精ってどちらかというと、男の自分自身の「脳内模様」に、自分自身が興奮するもののようだから。
頭の中を、ある程度自由に動かせる状態でないと、射精へと向かえない。
想像力は、タダじゃない。
性的に興奮する=自分自身を気持ちよくさせるには、自分の脳が使える状態でないとダメだ。
思考停止していては、射精出来ない。
思考停止していては、気持ちのよい射精へとたどり着けない。
気持ち良くない射精は射精じゃない。
何も想わずに、何も頭の中に描かずに、ちんちんピストンしても、「涙の精液」が流れるだけだ。(出すのにも時間かかりそうだし)
心を無にしてちんちん動かして射精しても、それは「灰色の射精」だ。
それは全然気持ちよくない。
それは全然満たされない。
それは全然幸福ではない。
それは全然funではない。
次はその②について。
- 極度に僕の頭痛が激しく重い時。
この時、僕は射精する。
自分に対する「救済手段」として、僕は射精する。
極度に頭痛が激しくて射精するのは、2、3週間に1回ぐらいかなあ・・・。
これは平日によく起こる。(あまり休みの日はひどい頭痛にみまわれないので。)
平日の、仕事が終わって家に帰って、いつもより「暗闇時間」が多い日とかにする。
このブログさえ、書ける状態ではないほど、頭痛がひどい時。(でもまあ、このブログを開設してほぼ毎日書いてるから、その間はあんま②のパターンでの射精はなかったかな。)
クッソ頭が痛い時に、少しでも救われたくて、僕は射精する。
疲労を追い越して、「救い」を求めて僕は射精する。
身体の疲れで射精出来ないというさえも霞むほど、ヤヴァく頭痛が激しい時。
目を開けているのがしんどい時。
まるですべてに「拒絶」されたかのような痛みが僕の頭の中を駆け巡っている時。
僕はわらにもすがる感じで、射精に救いを求めていく。
そういう時射精して、気持ちいいというよりも、射精出来た事に「安心」する。
気持ち良さを「反復」する余裕は、あまりない。
射精の気持ちよさを「堪能」するほど、心に余裕がない。
射精して、早く「ぐったり」したい。
射精して、まるで自分の頭の中に、「睡眠薬」を投入されたい。
射精をするとどこか、追い込まれていた気分が少し抜けていく。
射精をするとどこか、首を絞められていたような感覚が少し抜けていく。
射精をするとどこか、愛されているような気がする。←ww
射精をするとどこか、抱きしめられ終わったような感覚がする。←ww
まるで誰かと「触れ終わったような」、そんな「魔法」を射精は体感させてくれる。(今回何回射精って言うねん。)
・・・・。
・・・・。
話を戻して。
今夜、射精する予定である。
結局、月、火、水は射精しなかった。(この報告、いる?)←ww
しようと思っていたけど、出来なかった。
やっぱり、平日は「疲労」がすごい。
ほんと、まるで「悪魔」やね。
ほんと、僕の最大の「敵」やね。
大好きな夜の時間帯に、疲れた自分としか会えないのは、かなり悲しい。
夜でも元気な俺に、たまには会いたい。←こういう捉え方出来る自分スコ。
・・・・。
何というか、疲れると、それまで築いてきた自分のこうしたいという想いが、何だかリセットされてしまう。
疲労によって、まるですべてが奪われていく。
疲労によって、まるですべてを忘れてしまう。
また一から、自分はどうだったのかを、組み立てていかないといけない。
だから、僕は全然、「成長」出来ていない気がする。
毎日毎日、無駄な無益な無価値な疲労によって、「白紙の自分」に戻されてしまって。
ただでさえ僕は、僕が分からないのに。
ただでさえ僕は、自分というものを、あまり、持っていなかったのに。
どちらかと言うと僕は昔から、何かを好きと言える人ではなかった。(確かにそうだね。)
そうだ・・・。
そうだ・・・。
僕はあまり、「熱中」することが、あまりしたことがない。
それは昔から。
それは子どもの頃から。
すごく、漠然としていた。
すごく、漠然と生きていた。
すごく、「薄く」生きてきた。
どちらかというと僕は、「自分というのが弱い」人間だった。
何かをはっきりと好きというのも、あまりしたことがない。
すごく、流されて生きてきた。
すごく、曖昧に・不明瞭に生きてきた。
自分というのが、あまりなかった。
「自分の言葉」が、あまりなかった。
自分を表現するのも、下手だった。(何か、泣けてきたンゴ・・・)←ww←あまり笑えん。←ww
喋るのも下手だったしなあ。
やっぱ、よく喋る人の方が、「幸せ」だよね。
言葉が、出てこないんだよなあ・・・。
素直に言葉が出てこない。
感情を、当たり前のように吐き出せない。
感情を、一旦自分の頭の中で止めてしまう。
スルッと、想いを出せない。
こういう風に、このブログみたいに、自分の中の自分たちと会話してしまう。(←こういう人ってたぶん、俺以外にも多いだろうね。多分その人たちはもれなく、「コミュ障」と呼ばれる人だろうね。)
それを僕はあまり、「不幸せ」とは思わなかった。
・・・・。
今となってはこの頭痛が発症してしまって、「話せる自分」になるのはかなり難しいだろうが。(喋ると頭に響くので、その点も踏まえて、あまり会話したくない。痛いので。)
喋れる人を羨ましいと思うことはあるけれど、何だろう、少し僕とは(僕たちとは)脳の仕組みとかが違うのだろうか。
喋れる人間になりたかった部分もあるが、喋れる人間というのは、僕みたいに(僕たちみたいに)自分自身の頭の中での会話は行われているのであろうか。
「籠り会話」、といった感じか。
「脳内会話」、といった感じか。
思ったことを感じたことを、そのまま流すように言葉にして出していかずに、脳内の「思考材料」として留めておく。
喋れる人も、僕たちと同じようにその機能もあるのかな。
喋れて、脳内でも喋れているのは、羨ましいな。←ww
それは羨ましい。←ww
僕も、喋りたいよ。
僕も、自分の思いを発作的に・さも当たり前かのように、自分の口から自分の言葉として放っていきたい。
でも、頭痛のせいというのもあるけれど、脳内での会話の方が、断然「楽」なんだよね。
喋れる人と比べて、脳的に僕は(僕たちは)、少し「劣って」いるのかも。
ふえ~~ん(泣)←ww
なるほどお・・・。
僕の場合どこか、脳に映る「イメージ」に、「甘えている」んだよね。
何か、自分が想うと、自分の脳内には脳内壁画に、イメージが描かれるから。
それを眺めているだけで、満足してしまうというか。
それが自分の脳内に描かれただけで、満足してしまうというか。
それを口に出して言葉に出して、という考えが最初からない。
その想いを外に吐き出すもの、という意識がはなからない。
自分内で、満足しちゃう。
その脳内イメージで、少し酔ってしまう。
クレヨンしんちゃんで言うと、「ボーちゃん」的というか。←ww
言語化するのが、不得意。
想いを外へと吐き出していくのが、下手。
・・・・。
・・・・。
少し泣く。←ww
・・・・。
・・・・。
ふうーーー、今日も疲れた。
一旦休憩してきます。
今日も、僕も君も、お疲れ様でした。
おつかれ。
にゃはは。
(広告。美女で乳ある女の子募集。ぜひ僕の彼女になってください。遠距離は無理なので、名古屋在住の方限定です。コメントやツイッターはチェックしていないので、テレパシーや呪術を使って、告白してきてください。)←ww