9月9日その3「犬飼ユウは、どう生きるか。」

調子は、悪い。

頭痛の調子は、いわゆる「強制害悪イベント」が終わった後も、それほど「好転」していない。

通夜や葬式を経て、少し自分のリズムを取り戻せていない。

また、昨日の「3時間デート」を経て、精神的・肉体的にも、かなり疲労している。

これまでは、こういうアクティブなことを、休む時間に当てていたから。

その時間を動く時間に当てることで、より疲れて、より休む時間が減っている。

一息が、なかなかつけない。

あまり、休みたくない。

いや、休みたいけど、休みのが、惜しい。

これも、今日、3つめの日記・文章だけど。

特に書く内容があるわけでもないのに、何かを書いていたいという、僕の想いがある。

「自分の存在」があるのかどうか、僕は「不安」なのだろう。

こうやって、意味がなくても、文字を打つことで、僕は安心していく。僕は自分の存在に触れて行く。

1回目のデートと、今回のデート。

2時間と、3時間。

合計5時間が、僕に新たな「思考材料」を与えてくれる。

仕事中とかも、この5時間のことばかり考えられる。

想うって、そこがいいよね。

想うって、起きている間、いつでも、可能だから。

クソつまんない仕事をしながらでも、頭の中で「例の5時間」について、色々思ったり出来るから、それは僕を、「幸福」にしていく。

僕たちって意外と、いかにこういう時間を幸せに出来るかで、幸せかどうかって、決まっていくよね。

つまらない時間は、多くの人にとって、ある。

それは僕のような、そこまで望んだ仕事じゃないけど、お金の為にやっている人の、働いている時間であったり。

他には、学生の授業中の時間であったり、退屈な学生生活であったり。

他にも、行列や電車やイベントの待ち時間であったり。

そういう、何かをしないといけない・何も出来ない状況で、僕たちは思える・想うしかない。

その想いが空いた時間に、楽しいことを想えるかどうかって、重要だよね。

だから僕たちって、「奇跡な体験」を求めるんだよね。

だから僕たちって、「とても楽しい非日常時間・空間」を求めるんだよね。

それは旅行であったり、恋愛であったり、ゲームであったり、趣味であったり。

今回の、僕の、例の、合計5時間。

はじめの2時間は、夢のような時間だったけど、2回目の3時間は、「現実」を知った、3時間。

2回目の3時間のせいで、僕はポッカリと、今日、心が空いていた。

少し、「現実」を知った。

少し、現実を知れた。

それは虚しくもあり、嬉しくもある。

何せ、僕は、圧倒的に、「経験」が足りていないのだから。

「比較」できる経験を、僕はまだ、持ち合わせていない。

巻き起こる小さいことで、とても心を揺らされてしまう。

巻き起こる小さいことで、とても動揺してしまう。

巻き起こる小さいことで、とても影響されてしまう。

2回目の3時間はどちらかというと、「失敗」だった。

自分の、ダメなとこが見えた経験だった。

自分の、未熟さが知れた経験だった。

僕はだいぶ、生きるのが、難しい。

ふつうの人には当たり前な状況でも、僕にはそこにいるだけで、辛い状況が多すぎる。

それでも、僕は、そこに自分を「置いて」いかなくては。

自分を、晒さないと、いけない。

晒すことで、自分の「非健常者」を、痛感していかないといけない。

非健常者の中で、どう振舞っていくか、考えなくては、いけない。

自分の家の自分の部屋で、電気を消して、「暗闇」の中に逃げ込んでいては、僕はいつまでも、変わることが出来ないだろう。

他人がいる場所で、僕は僕を「プレイ」していかなくてはいけない。

明るい場所で、自分がどう振舞っていくか、経験しないといけない。

辛いことが、多いだろう。

苦しいことが、多いだろう。

より、健常者の差異を、感じていくだろう。

でもまあ、それは、今は、したいから、やっているんだけどね。

そういう「流れ」に持っていっているのは、いいと、僕は、思うよ。

そんな、感じです。今夜は。

現在、9月9日月曜日、時刻は午後11時前。

その1、その2は、午後8時ごろから書き始めました。

以上です。

お疲れ様。

おや、すみ、です。

おやすみ。