私は、誰?←ww
僕は、誰?←www
9月30日月曜日。時刻は午後7時過ぎ。
軽い、記憶喪失。←www
・・・・。
・・・・。
・・・・。
う~~~~ん。
こういうの、よくあるんだよね。
こういうのを避けるために、このブログをやっている感もある。
割と僕はこうやって、「これまでの自分」を忘れてしまう。
というかさ、たぶん、あるよね、みんなにも。
あれ、私って、どんな感じだったっけって。
別にこれは、「中二病」とかではなく。
何か、自分にキャラを持たせようとしているのではなく。
過去の自分との繋がりが、途切れやすいんだよね、僕。
おそらく、「頭痛」のせいだろうけど。
頭痛に限らず、僕の性格的なところもあるだろうけど。
こういう状態こそが、僕が求めている感じもあるけれど。
僕って、忘れやすいんだよね、僕を。
だから変に、「犬飼ユウ」を自分自身に強烈にキャラ付けして、自分を忘れないようにしている感じはある。
忘れやすい。
失くしやすい。
僕は。
どういう風に生きていたか、忘れてしまう。
自分が何が好きだったか、忘れてしまう。
自分がどういう人だったか、忘れてしまう。
過去の繋がりを、一旦、途切れさせてしまう。
ある程度、これは自分自身が望んでしまっているのだけれど。
「白紙」の僕を。
白紙の自分を。
いざ今日みたいになったら、それはそれで、めちゃくちゃ困る。
何も出来ないから。
何も望んでいないから。
何も楽しみにしていないから。
何かすでに、「人生が終わりそうな」感覚になっている。
何かすでに、「ゴール間近」にいるような精神状態になっている。
幸福も不幸もなく。
どちらかというと、幸福に近い感覚。
すでに十分満たされた感覚。
すでに十分生きた感覚。
おそらく、「季節」的なのが今の僕の白紙に近い心理状況の、原因になっている気がする。
「時」が僕を、少し、「センチメンタル」にさせている感がある。
こういう時は、過ぎ去るのをただ、待つしかない。
それか、外に出掛けるかだ。
家にいては、この心の状態はどうにも治らない。
外に出て、「インプット」することで、インプットに夢中になることで、こうやって、心の内に籠ることを避けたり。
自分を忘れている時は、外に出て、『時代に身を寄せた方がいい』
今日のように、自分の失いが多い時は、誰かに依存したり、誰かの中に入ることで、「自己防衛」していた方がいい。
こういう時、自分で自分を守るのは、なかなか出来ない。
白紙なのだから、死も生も変わらない。
白紙なのだから、どちらに転んでも、許せる自分がいる。
危ない。
だから、僕にとって、自分の家の自分の部屋で過ごす時間というのは、「難しい」。
外に出ていた方が、楽だ。
外に出て、「時代の空気」を感じていた方が、死なずに済む。
「死にたい」と思っていた方が、逆に死なない。(←それな。)
実際に死に近い時は、今日のように、心が「白紙」に近い。
心が白紙になることは、ある程度、僕自身が望んでしまっているけれど、実際に今日のように、なると、かなり、「こわい」。
すべてのものに偉大なる価値を感じて、そしてまた、すべてのものが、『超絶無価値』に感じてしまう。
壊したい。
価値がないのだから、壊したい。
最大に価値のあるものを、無価値として壊してしまう快感。
その快感を満たそうと、自分の心がうずうずしているのを、激しく感じる。
言ってしまえば、それは少し、「王」のような心持ちだろうか。
みんな、あれこれと自分を満たすために、何か楽しいものを探そうとしているのが、ひどく、『愚か』に感じてしまう。
何故ならすでに自分は、そういう精神状態の「上」に行ってしまっているから。
愚民ども。
まだ、生きるがどうだとか、楽しいがあーだこーだとか、言っているのか。
そんなもの、すでに俺は、「超越」している。
俺はいつでも死ねる。
何故ならすでに、「終わっている」から。
すでに、生に満足し、十分にこの世界を味わい感じ取ったから。
だから、いつでも死ねる。
だから、生に縛られることなく、いつだって、死ねる。
白紙。
白紙の精神状態。
とても極めて、危ない状態。
ひどく「破壊衝動」に、今にも溺れそうな状態。
そんな、今日の僕です。←wwww
こんな感じに、今日の僕がなっている理由は色々あると思う。
まずは、今日が月曜日ということ。
月曜日は平日始まりで仕事始まりで、このブログでも記録されてると思うけど、大体月曜日は、僕は「暗い」。
月曜日は割と、頭痛を強く感じてしまう。
土、日とリラックスしていて、頭に負担をかけなかったのに、月曜日が始まると、急に負担をかけてしまうから。
もう一つは、先ほども言ったけど、「今の時期」。
おそらく、「時」のせい。
というか、僕は原因が分からなかった、大抵の場合、「時のせい」にしてしまっている。←wwwww
今という時間が悪いのだから、今はしょうがない。
とりあえず、時間が過ぎるのを待とう・・・、と処理することが、僕は多い。
でも実際、そうじゃね?
自分の「心」って、本当によく分からない。
僕は、ブログの今までの記事を読んでくれている人なら感づいていると思うけど、日々、自分の心を「探っている」。
幸か不幸か。
満たされているか満たされていないか。
孤独か孤独じゃないか。
自分を知りたいから。
自分を知るためには、自分の心を観察するしかないから。
何とか今の自分の精神状態を知りたくて、それをこうやってブログに書き残すことで、知っていく。
だからこのブログって、いわば、僕の「心記録」「精神記録」「心軌跡」「心ノート」みたいな役目をしている。
自分の心を、「有形」にしようとしている感じ。
すごく、不安だから。
すごく、曖昧だから。
すごく、分からないから、自分の心が。
すごく、好き。
すごく、自分が好き。
すごく、自分の心が好き。
知りたい。
触れたい。
愛したい、自分を・自分の心を。
だからさ、何というか、僕って、『正直』だよね。←wwwwwww
このブログは、僕自身のために書いているから、「嘘」がない。
誰かのために書いているのではない。
僕自身が、僕を知るために、このブログは書いている。
ぶっちゃけ、それしか、僕は今、楽しみがない。←www
というかたぶん、実際のところ、みんなもそうなんだろう。
自分を知りたくて、僕たちは生きているに過ぎない。
自分に興味を失ったら、それはもう、死ぬだけだ。
自分のことがまだ好きだから、僕たちはまだ生きている。
未来の自分にまだ興味があるから、僕たちはまだ、死んでいない。
簡単なことだ。
それだけ、なんだ。
・・・・。
・・・・・。
・・・・・。
はい、一旦、切ります。
最近あえて、「あの言葉」を言っていない。(あの言葉に該当するのって、3つぐらいあるような・・・。)
言わないというか、言わない人間に変わっていっているということ。
僕もまたやはり、変わっている。
僕もやはり、「変化」していっているんだ。
それは、少しだけ、嬉しいし、ちょっぴり、「自信」にもなる。
それじゃあ、休憩入ります。
・・・・・。
・・・・・。
・・・・・。