10月13日その3「発狂の防ぎ方。精神崩壊の防ぎ方。メンヘラの防ぎ方。」

何故、女は発狂しやすいのか。

何故、男は発狂しにくいのか。

・・・・。

10月13日日曜日。時刻は午後4時。

女と男を比べる前に、まずは「発狂」について、語るか。

発狂。

僕にとっては割と、「身近なワード」である。

永遠に、終わることなく頭が痛み続けているという、世界のどこを見渡しても見当たらない「病気」を抱えている僕は、ぶっちゃけ、毎秒「発狂」しそうになっていると言っても、おかしくない。

普通に世界は「紅色」に染まっているし。

精神が限りなく、病んで、病んでいく。

しかし、このブログを見てわかるように、僕は総合的には、それほど狂ってはいない。(あくまで自分が思う上での話。このブログのコメントや意見を全く聞いたことがないから、実際このブログを読んで、僕がどう思われているか、僕はまだ、知らない。)

何故僕は、そこまで病んでいないのか。

また、「自殺未遂美少女」を観察していて、自殺未遂美少女に比べたら、僕はまだ、メンヘラがよくやるような「行為」は、あまりしていないなあと思って。

男と女の、メンヘラの違い。

男と女の、発狂に対しての対処の違いやその対処が違う原因あたりを、今から語っていきたいと思う。

まず、僕はこんな病気を患わっていても、あまり「発狂」しない理由や、発狂しそうになった時の「対策」などを語っていきたいと思う。

僕がこんな病気を抱えていても、メンヘラのように発狂しないのは、やはり、僕の「性格」が大きいと僕は思う。

この病気あるところに、この性格ありと言った感じか。

いわゆる僕は、「問題」を日々、探している。

いわゆる僕は、「謎」や「疑問」を日々、探している。

それはおそらく、みなさんもそうだろう。

その意識が、他の人より強いのが、僕の性格の特徴ではないか。

与えられた解答よりも、自分の経験や体験を元にして、結論を出していきたい。

すでに決められた解答をそのまま自分のものにするのではなく、とりあえず自分の中で一度汲んで・一度咀嚼して、その解答が実際にそうなのかどうか、揉んでいきたい。

基本的に、すべてを疑っている性格というか。

基本的に、すべてを『嫌っている』性格というか。

基本的に、すべてを「拒絶している」性格というか。

理解してから、認めたい。

納得してから、受け入れたい。(あくまでこれは、平均的な話。自分で理解する前に、とりあえず受け入れてから、いつか理解していくパターンも多くある。例えば、学校の勉強とか、そうしないとダメだよね。とりあえず知識として取り入れて、後々、それが実感できるパターンもある。)

そんな感じの性格なので、この病気がいい、「難題」になっていると、一部の僕は捉えている。

普通の人なら、絶望にまみれてしまうしかないであろうこの病気を、僕は、僕なりに、面白く「解釈」しようとしている。(まあ、絶望している時間の方が長いが。)

そんな僕だがもちろん、極めて絶望的な病気なので、「発狂」しそうになる時はいくらでもある。

そういう時の、僕の対処法を、述べていく。

その対処法とは、『無視する。出来るだけ何も考えない。心に何も映さない。時が経つのを、静かに耐える』

これがおそらく、発狂に対する最強の対抗策。

てか、これしかないね。

発狂はかなり「強敵」だから、発狂に対抗出来るのは、発狂しそうで崩壊しそうな自分の精神を、「無視」すること。(自分の人格が複数あることが、ここで活きてくる。)

極めて狂いそうな自分を、とても醒めた目で見つめる自分を形成すること。

これが、発狂に対抗する唯一で最大の対抗策。

この対抗策を、いかに実現していくか。

いかに、狂う自分を無視する・醒めた目で見る自分を多めに形成できるか。

この方法は、いくつかある。

またこの方法は、いくつか段階的に、ある。

まず気にすべき所・気に留める点は、狂いそうな時の自分は、疲れていないか・疲労していないかという点。

心の崩壊の原因は、大半、身体のバランスの崩壊が原因になっていることが多い。

どっちかというと僕は、心より、身体の方を重視している。

心を成り立たせるためには、身体がまず必要と、僕は考えている。

なので、心の崩壊危機を迎えた時に、疑うべきはまず、自分の身体。

身体が疲れていないか。

身体に栄養(食事)が足りていないか。

身体に運動は足りていないか。

睡眠はそこそこ、とれているか。

心が壊れそうな時、まず身体が健康かどうかを、僕は疑う。

ここをクリアした時。

次は、「時間」を疑う。

身体という、僕たちの「本体」が正常なら、異常なのは、僕たちを成り立たせている「時間か空間」の、どちらかだ。

まずは、時間。

時間>>>空間、ね。

空間より、時間の方が、強い。

今の時間。

狂いそうな、今の状況。

今という状況を、疑う。

曜日。

年月。

時間(朝とか昼とか夜とか)

狂いそうな時って、これまでもあったから。

それは、空間的な原因にあるのではなく、とても無機質に、意味もなく時間的な原因によることが、割と多い。

長く生きていれば、そういう「経験」がたまっていく。

自分の「負の周期」を知るというか。

意味もなく、僕たちは周期的に死にたくなることは多い。

だから、そういう時は、そういう時間かと納得するしかない。

空間的な原因ではなく、生理的な、時間的な発狂は、割と多い。

そりゃ、生きるとは膨大な意味の分からないことの積み重なり合いだから、むしろ、発狂しない方がおかしい。

狂わない方がおかしい。

心崩壊しない方がおかしい。

こういうのは、おそらく、10代20代では気づきにくい。

僕も、20代後半になって、薄々気づいていった。

あれ、これ、意味もなく、発狂しそうだぞって。

何でだろって。

僕は、疑問に思って。

それで、その理由は、「時間」にしかなくて。

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そして、時間的な要因でも納得出来なかったら、次は「空間」。(というか、時間が要因とは、時間だけを見つめても分からない。原因の根本を時間→空間という流れにするのは正しいが、空間を見渡して、空間に理由がなかったら、やっぱり時間のせいにする、といった流れの方が正しい。時間は時間だけでは、捉えられない。今という時間を構成している空間を見渡して、空間に理由がなければ、時間のせいにする、と言った感じ。自分を責めるのではなく、空間と時間のせいにする、というのが、特徴。これが女性のメンヘラの場合、自分を責める傾向が強く、リスカやODをしてしまう。男の方がどちらかというと、原因を自分の外に定める傾向が強い。例えば、これによって、DVをしてしまったり。男は外に向かい、女は内に、解答を求めやすい。この傾向にもまた、理由があって。それは、性器の違いがおそらく、関わっているのではないか、と僕は予想する。これはあくまで予想ね。確立20%ぐらいの推論。男の場合、ちんこは身体の外にあるから、外的に触れることで、性器の熱を外に発散できる。熱が外に向かう。ちんこの熱を、外に逃がせる。原因を外に求めがち。一方女性は、まんこは身体の中にある。熱を逃がせない。熱が身体の中に籠る。その結果、男に比べて考えがちになってしまう。原因を自分に向けてしまう。吐き出すことに罪悪感を感じてしまう。男の場合、当たり前のように射精するから。女性はどちらかというと、受け入れる側だから。どうしても、自分を傷つけやすい。てか、カッコ内、長すぎた。←wwwwww)

そして、今のこの時間は、どういう空間で成り立っているか。

天気天候はどうか。

今日、何をしたか。

誰かに何かを言われたか。

何を食べたか。

どこにいたか。

どういう気持ちを感じたか。

気温はどうだったか。

何を見たか。

何を聴いたか。

空間には、今のすべてが詰まっている。

今という時間は、今という空間で成り立っている。

こういう風に、まずは自分の身体・体調を見て、そしてそれがおかしくなかったら、時間と空間に発狂の理由を求める。

空間の中に、これまでもこういう時に発狂しそうになったという経験や記憶があったら、それで納得し、そして、その発狂しそうな自分を醒めた目で見る。もしくは、そういう自分を優しく撫でてあげたり、もしくは無視したり。

そうやって、発狂しそうな自分に、『慣れる』というか。

そういう自分も、いるよね、的な。

生きていく中で、むしろ、『自分以外が狂っているのだから』、それに影響されて、自分も狂ってしまうよねと、狂う理由を、自分以外のせいにしていく。(←これ、めちゃくちゃ大事。これが、男の方がしやすい。女性の方が、しにくい。)

いかに自分を『俯瞰(ふかん)』できるか。

自分の精神崩壊を防ぐには、それが重要。

自分の発狂を防ぐには、それが重要。

自分を、他人化する感じ、といったところか。

自分から抜け出す。

もう一つの自分に逃げる。

その1「身体・体調を見渡す」その2「時間を疑う」その3「空間を疑う」。

ここまで来て、次に何をやるか。

対抗策は二つあって。

これは、組み合わせてもいい。

それはまず、「時間を変更すること」。

それはつまり、「ただただ、発狂しそうな自分が過ぎ去るのを待ち続けること」・「発狂しそうな今が過ぎ去るのを、特に何もせず過ごすこと」。(解決策になってない件。←www)

僕の場合、これが割と有効。

一日の中で割と何回も発狂寸前を繰り返している僕は、「何もしない時間」もしくは「何も出来ない時間」というのが割と出来ない。

そういう時、未来を感じない・感じれない。

よって、未来に向けた行動が一個もできない。

そういう時は、無駄にネットサーフィンしたり。

無駄に撮りバラエティ番組を見たり。

自分の未来に役立つことは全くできず。

ただただ無駄に、時間を消費するぐらいしか、発狂寸前の時は、出来ない。

時間を変更する以外の方法としては、「空間を変えること」。

これも、よくやる。

というか、時間を変更と空間の変更は、組み合わせたらより有効だし。

空間を変えるということは、今、自分がいる場所を移動すること。

部屋に引きこもっているのではなく。

外に行く。

違う場所に行く。

違う環境に身を置く。

そうすることで、発狂している自分から、遠ざかるというか。

狂っていた場所を離れることで、狂っていた自分を俯瞰できる。

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そんな、感じかな。

今回、だいぶ面白いでしょ。

というか、どれくらいの人に、この話、伝わっているのだろうか。←wwww

続きというか、より実践的な話もしたいのだけれど、こんだけ書いたら、何か疲れた。

また、男性と女性との違いについてもまた、詳しく書きたいけれど、それもまた、いずれ、という話で。

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追記。

午後6時半。

書き終わって、少し経って思ったけど、これって、「対抗策はない」って、言っているようなもんだな。←www

まあ、実際、発狂しそうな自分は、かなり「最強」だから。

それに対抗できる自分なんて、持っていない。

なので、やり過ごす以外に方法は無い。

長期的に考えたら、空間、つまり場所や環境を変えるぐらいが割と普通な解決策で。

だけど10代とか、親からの「鎖」から逃れられなかったりしている人に対しては、まともな対抗策は、実際ない。

辛い今に耐えつつ、もしその先、未来、生きたいのであれば、そういう場所へ向かえる方法を、虎視眈々と考えたり作っていくしかない。

何年後に救われるかを、救いとするかで、考え方も変わってくる。

俺の体験的には、絶望は絶望的に続く。

かなり長期的、数年、数十年。

それぐらいの長期的スパンで考えないと、おそらく、激しい絶望に見舞われている人は、その絶望から逃れられない。

てか、一生逃れられない可能性も、十分にある。

そういう時は、もし生きたいのであれば、出来るだけその絶望を薄める方法を、考えていくしかない。

絶望にも、「レヴェル」がある。

メンヘラにも、「レヴェル」がある。

中には、ほんとしょっぼいことでメンヘラぶっている人もいるし。

絶望と言っても、範囲・レヴェルが広い。

メンヘラと言っても、範囲・レヴェルが広い。

それな。

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