世界は面白いのか。
それとも、世界は、つまらないのか。
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10月26日土曜日。時刻は午前9時過ぎ。
ノドが、痛い・・・。
痛い・・・。
軽く、風邪。
でもそこまで「重症」ではない。
今日、ある程度「安静」にしていれば、この「ノドの痛さ」も少しは解消できそう。
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はあ・・・。
ふう・・・。
へえ・・・。
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世界は、面白いのか。
生きることは、面白いのか辛いのか。
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どっち?
みなさんは、どうですかどっちですか???
僕の場合は割合、楽しいこと:辛い苦しいこと=0.5:9,5ぐらいですかね。(これがどの程度なのか、普通の人と比べて)
やっぱり、辛いこと苦しいことが多く。
割と比較的、「絶望」に慣れちゃっている感じがします。
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それで、30過ぎて、いや、20代後半ぐらいから、感じていることがあって。
20代後半になってくると、生きるのに、「飽きて」くるよね。
「自分の世界」に「限界」があるから。
生きることは楽しいことあるかもしれないけど、自分の日常・自分の周りの世界には、楽しいこと、あまり散らばっていないから。
幸せから、かつてなく遠い。
10代を乗り越えて。
やっと親の「呪い」から逃れることが出来て。
やっと「自由」になったら。
僕の場合、この「頭痛」を患わってしまって。
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楽しいことが、あまりなかった。
それまで楽しいと思えたことが、楽しめなくなっていった。
というか、これまの楽しいと感じれたことが、そもそも「簡単な・与えられる楽しみ」だったんだ。
音楽であったり漫画であったり、ゲームであったり、インターネットであったり。
僕はあまり、「冒険」しないまま、ここまで来てしまったんだ。
僕は、「簡単な娯楽」を消費して、ここまで来てしまったんだ。
「これからの楽しい」にはおそらく、「行動」が必要なんだ。
というか本来、何か楽しみを見いだすには、行動が必要だったのかもしれない。
それが、消費社会では、便利なコピーものが多く提供されて。
自宅に居ながら、楽しめる娯楽が増えていって。
僕のこれまでの生きるは、それを「享受」していたにすぎない。
僕のこれまでの幸せは、どちらかというと「与えられた幸せ」が多かったのかもしれない。
「犠牲」を伴わない幸せを、これまでの僕は受け取っていただけなのかもしれない。
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生きるとは、何だろう・・・。
簡単に言えば、「繋げる」こと。
生きて、ただ死んでいくだけの、「それだけ」のことなのかもしれないけれど。
わがままなことを言えば、今という、一瞬一瞬に、「幸せ」を感じたい。
わがままなことを言えば、今という、一瞬一瞬に「温もり」を感じたい。
日々、肯定されたい。
日々、愛されたい。
日々、認めてもらいたい。
誰かと触れ合いたい。
誰かと今を共有したい。
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生きる時間の、その多くはつまらない。(僕の場合)。
自由な時間をもらえたと思ったら、自分のメンテナンスの時間(健康管理)や自分周りのメンテナンスの時間(血縁関係から生じるやらなきゃいけないこと、介護とかもね。)に時間を割かないといけなくなる。
また、いざ自由な時間を得られると、「休むこと」に全力になってしまう。
やっぱり、疲れているから。
死なないことが、一番の生きるだから。
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時間はあっという間に、過ぎ去ってしまう。
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以上です。←ww
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また、夜に書きます。