生きたくない。
・・・・。
10月28日月曜日。時刻は午前7時。
予定通り、会社を休んだ。
さて、ここから、どう僕を「再構築」させていくか。
これまでの僕を、取り戻していくか。
生きたく、ない・・・。
今は、その想いで溢れている。
すべてのことに、興味をもてない。
何も知りたくない。
何も関わりたくない。
・・・・。
またここから、始めていかなくてはならない。
またここから、思い出していかなきゃいけない。
僕は、何を想い、生きていたのか。
僕は、何のために生きていたのか。
僕は、何が楽しくて生きていたのか。
僕は、何が嬉しくて、生きていたのか。
・・・。
生きたくない。
この状況から、何とか抜け出していく。
生きたくない。
この状況から、やれやれ仕方なく、「生きたい」という方向性に変えていく。
・・・・。
とりあえずまずは、この、『生きたくないという気持ちを、肯定する』。
うん。
まずはそれが、一番なんだ。
まずはそれが、とてもとても、重要なんだ。
生きたくない。
無理して生きる必要はない。
生きることに、それほど意味はない。
それが、僕の本心だから。
それが、僕が一番望んでいることでもあるから。
生きたくない。
生きない。
生きることに、意味を見いださない。
何もせず。
何も求めず。
何も望ます。
そういう自分を、「赦して」あげて。
生きることに意欲湧かない自分を、抱きしめてあげて。
頑張って、生きる必要はない。
頑張る必要はない。
何もせず。
何も湧き立たない自分の心を、静かに見つめて。
生きようとせず。
笑顔を求めず。
静かな心で、そのままで。
「最悪」ではないから、思えるその心。
「絶望」から脱して、ただただ、「虚無」な自分の心が、そこにあって。
放心している。
「懐かしい僕」に、還ってきた。
20代の頃の、僕に還ってきた。
ふう・・・。
やれやれ・・・。
にゃははは。
・・・・。
・・・・。
さて。(早いな。←ww)
そろそろ、「復活」していこうか。
とりあえず、コンビニで「ジャンプ」と「週プレ」を買ってこようと思う。←www
僕の、「心の復活」は、それからだ。←ww
ついでに、適当な食べ物も買ってこようか。
適当に、動こうか。
適当に、生きようか・・・。
・・・・・。
・・・・。
・・・。
ああ、でも寒いな。
外に出るのが、おっくうや。
でも、行こう。
・・・・。
・・・・。
(数十分後)
ジャンプ、少しだけ読んだ。
買ってきた肉まんと、サンドウィッチを食った。
ジャンプ、相変わらず呪術廻戦ぐらいしか、読みたいと思えるものがない。
肉まんとサンドウィッチ、それほど美味しくない。
それで、いい。
もっと面白い作品が読みたい。
もっと美味しい食べ物が食べたい。
それでいい・・・。
・・・・。
・・・・。
さて、次は。
僕は、何を求めて生きていくのか。
僕は、何を望んで、生きていくのか。
もう、答えは出ている。
もう、「解」は出ている。
『繋がり』、だ。
それな。
繋がりたくて、僕は生きている。
というかそもそも、生きるって、「繋がりしかない」から。
何故、繋がりを求めるのか。
それは、繋がることで、自分が「有る・在る」ことを赦されるから。
「有る・在る」ことを赦される。
それだけのために、僕は生きている。
「有る・在る」ことを赦される。
それだけを求めて、僕は、生きている。
孤独は、嫌だ。
孤独が嫌だからこそ、生きようと思える。
孤独が嫌だからこそ、繋がりたいと思う。
・・・・。
・・・・。
ふつう。
気づいたのだけれど、僕やみなさんが求める「ふつう」というのは、『ふつうに繋がれている』状態だと思う。
ふつうの人間関係が出来ている。
おそらくみな、それを望んでいるのだろ思う。
孤独でなければ、それでいいんだ。
ふつうを望む人は、おそらく、孤独なんだ。
繋がりたい。
誰かと、一緒にいたい。
誰かと、繋がっていたい。
誰かと、共有していたい。
生きるの再構築は、そこから始まっていく。
生きるとは、まずは生きたくないを赦し、そして繋がりたいという欲求が生まれて展開していく。
生きたくないという想いを母体にして、それでも生きるのなら、「繋がれる」ことで、僕たちは生きたくない生きるを始動させていく。
生きるの母体は、生きたくない。
僕の場合、そうだ。
生きたくないから、生きるは始まっていく。
生きたくないを原点にして、生きるは始まっていく。
生きたくない自分だから、せめて、『救え』。
生きたくないと僕は思っているのだから、何とか、生きるが悦と思えるように、繋がらせてください。
そういう感じで、犬飼ユウの再構築は始まっていく。
さて。
さて、それで。
どう、繋がっていくか。
どういう繋がりを求めていくか。
どういう方法で、繋がりを求めていくか。
それは色々あるが、ここ2・3日の絶望の中で、一つ、新たな繋がりの方法を、僕は思いついた。
それを少し、今後試していこうかなと思っている。
これまでの2か月ぐらい、「お金」を使って、若い女の子との出会いを僕は求めてきたけれど。
それに「虚しい」ことに、今さら気づいた。←wwww
おっそ。←ww
でもこれも、経験しないと、分からない実感だから。
お金を使って出会うのは、やはり虚しい。
虚しい。
人として、ありたい。
お金を使って出会うと、お金としてしか見られていない。(でも思ったんだけど、婚活とかも、そうなのかな?年収とか、まずは見られて、虚しくならないのかな。そこら辺の認識の違いから、離婚とかもしちゃうのかな。)
なので今後、少し、新たな繋がりの方法を、試してみようと思う。
相変わらず、お金を使っての、若い女の子との出会いはしていこうと思っている。
ただ、頻度を減らす。
そこに対しての労力や時間も減らす。
お金を使っての繋がりも、まだまだ僕に「勇気」をくれるから。
虚しいけれど、それとは別の、有用な「価値観」を、与えてくれるから。
出会うことでしか、感じられない「自己認識・自己発見」がある。
それは、否定しない。
ただ、これだけを続けても、お金は減る一方だし、虚しくなる一方だから。
繋がる違う方法を思いついたので、それを一度、実行してみようと思う。
お金を使わずに、繋がりを感じられる方法を、一度、試してみようと思う。
その方法もまた、ここ2か月ぐらいの経験から、思いついた。
まあ、とりあえず、それを試してみようかなと。
・・・・。
・・・・。
他者を必要とすることで、自分が見えてくる。
会いたい人がいることで、今の自分が、僕の場合、見えてくる。
だから、まずは、「他者」が必要なんだ。
僕が生きるためには、「誰かが生きていること」が必要なんだ。
そんな感じで、僕の再構築を始めようと思う。
まずは、「部屋の整理」から。
それと、ここ2.3日溜めてしまっていた、「お片付け」を、やっていこうかな。
・・・・。
・・・・。
・・・・。
僕はいまだ、「ひとり」だ。
しかし、ここ2・3か月の経験で、ひとりを脱せられるような「方法」を、少し思いつくことが出来た。
実際、今時点でのひとりと、2.3か月前までのひとりは、少し違っている。
何が違うか。
僕はどう、繋がっていけるのか。
やれやれ。
疲れるぜ。
生きるというのは、「思考」しないといけないから。
生きるというのは、「思考展開」していかないといけないから。
やれやれ・・・。
・・・・。
・・・・。
・・・・。
そんな感じで、僕は相変わらず「無表情」で、生きていこうと思う。
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・・・・。
・・・・。