11月2日「犬飼ユウ、孤独についてクッソ早口で長々と喋りまくる。」

繋がりたい繋がりたい繋がりたい。

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11月2日土曜日。時刻は午後11時半過ぎ。もうすぐ24時。

もっか東京旅行である、もしかしたら天才かも、いやいや全然な天才☆犬飼ユウ君である。

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死ねっつ!!!!

これ読んでる奴、全員死ねっ!!!

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精神がかなり不安定。

というのにも、理由がある。

何か、今泊まっているビジネスホテルが、だいぶいまいち。

これでまず、ちょっと「テンション」落ちている。

お金とか、考えて。

今後も月1ぐらいで旅行していこうと思ったら、だいぶ旅費を抑えたいなあと思って。

それで今回、一つグレードを落としたビジネスホテルに泊まっているのだけれど。

何か、やっぱ、「泊る所」って重要だわ。

何か、しょぼいホテルに泊まると、「精神」がみすぼらしくなる。

ただでさえ、しょぼい僕なのだから。

それな。

僕という存在が、ただでさえ「ミクロ」な存在なもんだから、僕は「大きなもの」に引っ張られて、憧れている。

うわあ・・・、なるほどな。

一つ、勉強になった。

僕は、僕自身が「クソしょぼ」だから、レヴェルの高いもの・何かよく分からないけれど、かっこいいもの・高品質なものに、憧れているのだ。

カプセルホテルは嫌だから。(もちろんネットカフェも)

カプセルホテル以上の、かつ土曜日でも1万以下の出来るだけ安いホテルを探して、いざ今回、泊まってみたら。

何かだいぶ、テンション下がっている。

今回の旅としては、かなり「収穫が多い」旅になっているのだけれど。

やっぱり、「泊る所」の重要性を、今回の旅で認識した。

僕たちというのは、「時間と空間」から成り立っている。(いつものキター( ^^) _U~~)

時間と空間が、僕たちを形作っている。

時間と空間が、僕たちの精神を形作っている。

時間は誰にも変えられない。

僕たちは変えられるのは、「空間(≒場所。またその場所にいる人など)」だけだ。

しょぼい場所にいると、影響されやすい僕は、精神までしょぼくなってしまう。

みすぼらしい場所にいると、自分というものをあまり持たない僕は、自分の心を貧しくさせてしまう。

旅の中では泊まる場所こそが、自分にとっての「家」だ。

その家の価値を、侮ってはいけなかったのだ。

ただ、寝られればいいというものではない。

ただ、ベッドと浴室があれば、それでいいというものではない。

それでいい、旅もある。

あまり泊る所を気にしない旅もある。

でも、今の僕は、気にする。

たった1か月に1回の、旅じゃないか。

せっかく日常を離れて、非日常体験を経験出来ているじゃないか。

その非日常体験を自分の記憶に鮮明に焼き付けて、その記憶を一番鮮やかに残しながら眠れることが出来る旅行中の夜を、みすぼらしい宿泊所で過ごすのは、とてももったいないのではないか。

美しい思い出は最後まで、美しい場所とともに。

そうだろ?←www

何を、みみっちいこと考えて、安いホテルに泊まっているのだ、犬飼ユウ・・・。

でも、1万円の差はでかいけどな。←www

前回の東京旅行では、金曜土曜日曜と泊まって、平均して一晩1万円。合計で3万円かかった。

前回の東京旅行で泊まったところは、大体「アパホテル」ぐらいの素晴らしいビジネスホテル。

今回泊まったホテルは、1泊7000円で、3泊ともここに泊まる予定なので、合計2万円ぐらい。

1万円の差。

大きい。←www

ただその分、やっぱり全然違うは。

何が違うのか。

僕はここ3・4か月で色々旅行していて、大体、アパホテルとかリブマックスとかの有名チェーンビジネスホテルに泊まることが多かった。

ホテルって最低限、そういう場所だと思っていた。

あの部屋の「美しさ・綺麗さ」が、当たり前だと思っていた。

小学生とか中学生とかの時に、親に連れられて旅行に行ったことはまれにあったが。

自分で思い立って、自分で手配して旅行に出かけるというのは、30を超えた今の年齢になるまで、僕はしたことがなかった。

そうなんよ~~。←ww

みなさんって、どれくらい、旅をしていますか。

また、みなさんって、どれくらいの年齢層なんですか?

僕の場合、ほんとに、最近になるまで、旅行をしようとさえ、あまり思っていなかったかも。

旅行して、何になるねんっ、っていう・・・。

旅行しようっていうことがそもそも、思いつかなかった。

それぐらい、何か、『囚われていた』。

それぐらい、何か、「縛られていた」。

というかそもそも、「お金」なかったし。

20代前半なんか、ギリバイトしてたかしてなかったぐらいだったし。

ないんだよな。

そうなんだよ、20代って。

まあ、僕の場合。

あまりお金を持っていなくても、20代でお金をあまりかけずに旅行している人もたくさんいる。

たぶん・・・。←ww

僕は、「旅行」ということが、思いつかなかった。

僕は、「旅行している自分」というものが、思いつかなかった。

それって、果てしなく終わりなくめちゃくちゃ、「差」があるよね。

この「差」って何か、旅行だけでなく、『すべてのこと』にも言えることなのかもしれない。

気づくか、気づけないか。

素晴らしいことは、僕たちの目の前にむちゃくちゃ無限に転がっているのに、それがむちゃくちゃ近いのに、気づけない「愚かさ・醜さ。」

童話の、「青い鳥」って、こういうことなのかな。(ちょっと違うかな?←ww)

僕たちは僕たちを、あまりにも正確に、捉えていない。

僕たちは現在の僕たちを、あまりにも程遠く、自分たちの置かれた状況を理解していない。

すぐ近くに、「幸せ」があるのに。

すぐ近くに、「可能性」はたくさんあるのに。

気づくか・気づけないか。

やるか・やらないか。

自分の考えに、僕たちはひどく無様に、「殺されている」。

僕たちは自ら、自分たちの「可能性」を狭めてる。

それは、最近の僕の、「名古屋計画」からも、感じている。(ちょっとずつ話、それ始めたたぞ。ちゃんと元の軌道に戻れるかな?←www)

女の子と僕。

それまでの僕は、「ひとりぼっち」だった。

それを、変えてみたくて。

このままだと、このまま惨めに、僕は死んでいくだけだったから。

幸運にも、そこそこのお金がここ数年の労働で手に入っていたから。

なら、そのお金を機会にして、可愛い若い女の子と出会ってみようと思って。

そんな、「名古屋計画」。

生まれてこの方、まともに「女の子」との接点がなかった僕の、「女の子触れ合い計画」。

それは、とても「楽しい」といえるものだった。

可愛い。

やわらかい。

あったかい。

20歳ぐらいの女の子は、30を超えた僕にとって、本当に「眩しくかつ純粋な」女の子たちばかりであった。

胸、躍る。←www

若い女の肉体が、僕の精神にまろやかで涼しげな風を無限に送っていく。

彼女たちの出会いは、正解がない。

ひとりの男とひとりの女が出会うと、そこからの「未来ルート」は僕とそして彼女たちとの現在の「選択」によって、考え始めると多すぎて気持ち悪くなるほど、多くのルートを生んでいく。

それは、ひとりの自分の「コンピューター」では、制御しきれないほど。

ひとりきりの人生では、自分の行動は、ある程度制御してると思いながら、進めていた。

しかし、彼女たちとの出会いによって、自分ひとりの人生すら、・・・。

あれ(笑)。

何か、言いたいことが全然うまく伝えられていない(笑)。

何が言いたいかっていうと、僕は、以前は、僕の人生を、僕自身がちゃんと決めて、操作してると思っていた。

それが、違っていたんだ。(←これ、重要。)

それに気づけたのが、「名古屋計画」のおかげ。

自分ひとりで生きていると、自分でちゃんと、人生を操作出来ていると思い込んでしまっている。

自分の人生に「納得」出来ていると、思い込んでしまう。

そう、思い込んでしまっているんだ。

これが、「ひとりの罠」というか。

「孤独の罠」というか。

ひとりというのが、あまりにも『絶望』すぎるから。

孤独というのが、あまりにも「惨め」すぎるから。

そんなん、死んでしまうから。

その事実を正面から直面してしまうと、心が弱い僕たちは「発狂」してしまうから。

まるで自分を「洗脳」するかのように、僕たちはひとりは大丈夫であると、自分自身に言いきかせている。

違う。(迫真。←ここはめちゃくちゃ真面目だから、いつものように草は生やさない。)

ひとりは、大丈夫じゃないんだ。

ひとりは、寂しくないものではないんだ。

ひとりは、耐えられるものではないんだ。

我慢、しているんだ、ひとりの人は。

ただただ自分を洗脳しているだけなんだ、孤独な人は。

・・・。

・・・・。

それはある意味、自己防衛をしながらそして、自分を殺しているようだ。

ひとりでも大丈夫と自分自身に言い聞かせながら、自分自身の首を締めているようだ。

・・・・。

・・・・。

ひとりは、よくないよ。

孤独は、君が知らないうちに、君を殺しているよ。

孤独は、君の意識の外で、君に「毒」を持っているよ。

・・・・。

・・・・。

何故、犬飼ユウはそんなことを言うのか。

これ、さっきも言おうとしたのだけれど、説明も下手で文章力も乏しい犬飼ユウはうまく説明できなくて。

まず、「名古屋計画」ね。

これがきっかけで、僕はそれに気づいた。

つまり、本当に求めている人と出会うとさ、自分の頭がだいぶ「混乱」するのよ。

この混乱とは、以前の日記で「ノイズ」とも表現した。

名古屋計画以前は、僕は「孤独」だったのよ。(今でもさほど変わらないが。)

名古屋計画以前は、僕は会社以外では他人と全然接点がなく、自分の「殻」に閉じこもっていたのよ。

それで、まずは、男の僕が興味あるのって、「若い可愛い女の子」じゃん。

だからそれで、名古屋計画では、お金を利用して、若くてかわいい女の子と出会ってみたのよ。(何故おかま口調?←ww)

そうするとさ、若い可愛い女の子と出会うとさ、『めちゃくちゃ面白い』。

何が面白いかってさ、その出会いに、『筋書きが無い』のよ。

僕はこれまで、筋書きがある誰かによって作られた作品を、ただただ見たり読んだりしていただけだったから。

僕のこれまでの人生は、僕が主人公ではなかったから。(←!!!。それなー)

僕の人生は、僕はずっと、「お客」だった。

僕以外の、才能あふれる人たちの作品や行動を、テレビや紙媒体やネット越しに、僕はただただ見たり聞いたりしていただけだった。

それで何か、僕は生きた気になっていた。

自分以外の人が一生懸命に生きているのを、僕は死んだ顔して、無様に愚かに醜くただ眺めているだけだった。

僕は、生きていなかったんだ。

僕は、30超えた今まで、生きた気になってクソみたいに肉体と精神を消化していただけだったんだ。

だから、それを、変えて見たくて。

「違う景色」を、眺めてみたくて。

僕もまた、僕の人生の、「主人公」になってみたくて。

「名古屋計画」も、その一環だ。

今の僕の人生という冒険は、「旅と女」をメインテーマにしている。

「旅と女」が何か、面白そうだから。

旅と女が何か、今の自分を変えてくれそうな気がしているから。

旅と女が何か、僕を今の僕の意識から、救ってくれそうだったから。

旅と女に、僕を救ってほしい。

旅と女に、囚われている僕を、救い出してほしい。

旅と女に、僕の知らない世界を、僕に見せて欲しい。

「名古屋計画」とはいわば、名古屋に住んでいる僕にとって、名古屋で女と出会っていく計画だ。

名古屋という、クソしょうもないかもしれない都市に、非日常の花を咲かせていく。←ww

名古屋という、僕の住んでいるクソみたいな日常が続く街に、キュートで天使で時にメンヘラな女の子を、僕と出会わせていく。

そんな、名古屋という退屈な街で様々な天使や悪魔と出会っていくスリリングな体験計画を、僕は「名古屋計画」と呼んでいる。

これまでの名古屋計画で、僕は何を学んだか。(さっきからそれ、何回も言っている気がする・・・。)

名古屋計画をしていて感じるのは、自分の脳は、自分だけのものじゃないってこと。(←は?←www)

いや、もう少し正確に言えば、自分の脳を、自分だけのことを考えるのに使っていては、それは真に、自分のために使えないということ。(分かりづらいけれど、少しずつ僕が今言いたいこと言えてきている!!。)

つまり、自分を愛すためには、自分ひとりじゃダメなんだ。

「他者の意識」を、自分の意識に取り込むことで、その他者の意識を自分の意識にも、めちゃくちゃ活かすことが出来るのだ。(少しずつ僕が今言いたいこと言えているけど、まだまだ全然、伝わっていないだろうなあ・・・。)

ひとりで生きている人は、それがおそらくこれまでの僕のように、ひとりの自分を守るために、自分に「嘘」をついている状態なんだ。

孤独で、いいわけないから。

ひとりな自分で、寂しくないわけないから。

その自分を、見ようとしない。

泣いている孤独な自分を、見て見ぬふりをしている。

言い訳をしている。

それはある意味、繰り返し言うが、自己を守る防衛反応かもしれないけれど、それは中・長期的に見たら、自分を殺しているんだ。

寂しいなら、寂しいと大声で叫ばなければいけない。

助けが欲しいのなら、大きく自分を変えて、何かを犠牲にしてでも、「温かい他者」を求めなければいけない。

ひとりでも大丈夫と「言い訳」をしていると、僕たちは死んでいく。

またおそらく、死にゆく人は、それでいいとさえ、思ってしまう。

それは、20代の頃の僕のように。

出られないのだ。

救えないのだ。

孤独から出られない人は。

孤独から、救えない人は。

何もかもから遠く。

そしてそれは、自分自身からも。

時だけが残酷に、僕たちを無視して過ぎ去ってゆく。

いや、むしろ逆か・・・。

時だけが温かく優しく陰ながら、僕たちを愛おしく近くで見つめ続けている。

孤独な僕たちはそういう意味で、孤独ではない。

時だけは、もしかしたら僕たちを、愛しているのかもしれないのだから・・・。

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・・・・。

話、少し戻して。

孤独な状態は、いいわけがない。

ひとりな状態は、良いわけがない。

孤独は、とてもとても、辛いものなのだ。それは死にそうなぐらい。死を覚悟するぐらい。

ひとりな状態は、とてもとても、厳しいものなのだ。それは自分に対して、真っ赤な嘘をついてしまうぐらい。

孤独な僕たちは、孤独ではないと自分に嘘をついて、自分を殺しながら生かしている。

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・・・・。

僕は、だから、変えてみたくて。

ひとりのままだと、僕の「思考」に限界があるなと思ったから。

孤独なままだと、僕は僕を殺しているのではないかと、思ったから。

だから、これまでの自分から、外れたことをやってみたくて。

今までの自分では、それは自分の意識内の自分になってしまうから。

自分の意識の外で、自分を生かしてみたかったから。

だから、このブログを始めて最近、旅とか女とかに挑戦してみて。

それで、女。

何度も話行ったり来たりしてるけれど、名古屋計画。

可愛くて若くて、愛おしい女の子と話すと、まるで意識が飛ぶ。(それ、言い過ぎ。←ww)

というか、近くで眺めているだけで、それは「現実」とは思えないのだから。

女の子って、近くで見ると、こんなに美しいものなんだ。

それは、テレビ越しでは知りえない。

それは、インターネット越しでは分からない。

彼女たちは、僕たちの同じ空間に、生きていて。

生きている。

僕と同じように、「呼吸」している。

そして、彼女たちが呼吸しているように、僕もまた、呼吸しているんだ。

この事実、とても最近知った。

太陽の子と水族館デートした時に、名古屋港水族館の中にあるミニシアターで、太陽の子の肩に僕の頭を乗せていたら。

動いているんだ、彼女の肩が、彼女の呼吸に合わせて。

その彼女の身体の「揺れ」が、僕にはたまらなく愛おしかった。

彼女は、生きているんだ呼吸しているんだ揺れているんだ。

彼女は、一つの命なんだ。

彼女は、一つの生命なんだ。

生きるために、呼吸しているんだ。

生きるために、身体がビートを打っているんだ。

生きるために、身体を揺らしているんだ。

僕もまた、おそらくそうなんだ。

僕もまた、知らず知らずのうちに彼女のように、身体を揺らしてるんだ呼吸してるんだ。

生きるために。

当たり前の行動が、彼女からの情報で新鮮になっていく。

確かに僕は、今回の水族館デート前も、普通に呼吸はしていた。

でもそれは、呼吸していなかったんだ。

僕は、呼吸を、捉えられていなかったんだ。

太陽の子の肩に僕の身体を預けることで、僕は真の呼吸の姿を、その時初めて、見たんだ。

(ちょっと、言い過ぎ。←www)

自分ひとりでしている呼吸は、それは呼吸ではない。←ww

正確には、「色彩がない呼吸」

温度が無い呼吸。

まるでロボットのような呼吸。

水族館デート以前、僕の呼吸はそんな呼吸だったんだ。

太陽の子の呼吸を太陽の子の身体から直に感じることで、僕自身の呼吸に「深み」を与えゆく。

他者の意識を一時的に自分の意識にすることで、自分という存在をより際立たせていく。

僕というのは、僕ひとりでは、何もないんだ。

他者からの視点・意識があって、僕は初めて存在していく。

自分が寂しいのなら・自分の存在がひどく脆いと感じているのならば、「他者」を求めなければいけない。

自分という、あるのかないのか分からない、限りなく「透明な存在」を、他者の意識という「color」で、塗っていく。

それは、おそらく、『うるさい』。

今までだいぶ僕は、ひとりっきりで生きてきたから。

他人を想うということを、ほとんどしてこなかった僕だから。

今まで出会った女の子たちが、僕の心の中でうにゃうにょと極めてランダムに無秩序に暴れまわっていて、かなり苛立たせるし、それはノイズを大量に生んでいく。

孤独を逃れるということは、かなり、「うるさい」のだ。

ひとりを逃れるということは、他人のことを一定量、想わなければいけないのだ。

想わないと、またひとりになってしまう。

気にかけないと、また孤独に逆戻りしてしまう。←www

辛い。←www

ひとりじゃなくなったと思ったら、ひとりの時間がよりひとりになってしまって。

孤独じゃなくなったと思ったら、そして逆に、孤独な時間が自分にとても膨大にあることに気づいてしまって。

ひとりを脱出したら、また違う、ひとりの時間がやってくるのだ。(←それなー)

他者と関係性を築き始めたら、自分がひとりになっている時間が、より際立ってしまうのだ。

つまり、他者と関係性を持ち始めると、それまでの孤独な自分を、全否定することから始めなくてはいけない。

ひとりでは、ダメだから。

誰かと一緒にいて、初めて自分は生きている気がするから。

ひとりでは、生きていないから。

誰かと共にいて・誰かと時間や空間を共有して、初めて僕たちはその存在が、成立しているのだから。

孤独じゃないことを求めることで僕たちは、永遠の孤独と付き合っていく。

誰かと時間や空間を長く共有することで僕たちは、今度はいつ、孤独に逆戻りしてしまうのではないかという心の隙間と永遠に付き合っていかなくてはいけなくなっていく。

恋人や婚姻者がいる人たちもまた、孤独なんだ。

それはつまり、いつその関係性が終わってしまうのか、どこかで「儚さ」を感じながら、今の恋愛相手との関係性をより強固にしようと頑張っているんだ。

永遠、ではない。

その繋がりは途切れることなく終わりなく、続くものではない。

おそらく、たぶん、きっと・・・。

自分の意識ではなく、他者(≒恋愛相手)の意識が絡むことだから、自分自身で100%言い切れることは絶対にない。

自分の支配下に、ないものだから。

それは永遠に、自分では支配できないものだから。(永遠にって言葉、ほんとに犬飼ユウ好きですね。好きだよ。←ww)

孤独を抜けたと思ったら、それより辛い孤独が、終わりなく待っている。

でもその辛い孤独は同時に、とても温かい温もりある繋がりを、自分に与えてくれる。

繋がりは、孤独と共に。

繋がりは、終わらない孤独と共に。

繋がりは、自分では管理・操作・支配できない、他者の意識と共に。

求め始めたら、終わりがないんだ。

それで、いいんだ。

そっちの方が、「気づき」があるから。

自分ひとりではただただ、自分さえ気づかぬうちに、自分を殺してしまうだけだから。

辛くても、繋がっていたほうがいいんだ。

いつか、途切れてしまうかもしれないけれど、その恐怖と戦いながらでもその方が、自分を本当に『愛する』ことが出来るから。

自己の意識の中で、自分を動かさない方がいい。

時に他者の意識を「間借り」しながらの方が、より自分に「生きるヒント」を与えられそうな気がする。

・・・・。

・・・・。

なっが・・・・。←www

何か、最初の方、今回泊まっているホテルの愚痴とか言っていたけど。

いつのまに、こんな話題に・・・。

・・・・。

疲れたわ。

8300文字www。

午前0時ごろ書き始めたら、今深夜2時になっていまった・・・。

身体も冷めてしまったし・・・。

もう1回風呂入って、もう寝よ・・・。

・・・・。

・・・・。

・・・・。

ふう、明日も楽しい。

だから、寝ろすけ。

・・・・。

・・・・。

・・・・。