ふつうっ。
・・・・。
う~ん、ていうか、「ふつう」ではないような。
頭が痛くて、目を開けていられない。
ふふふ。
別にそんなに、「絶望」はしていない。
いや・・・。
これが「絶望」というのなら、僕はそれにだいぶ、「慣れて」しまったのかもしれない。
・・・・。
言ってみれば、この終わらない頭痛を発症して「10年」経って、僕はいわば、この頭痛がもたらす壮大なる絶望に、「慣れて」しまったのかもしれない。
だから、この程度が「絶望」とするのなら、それは絶望なのかもしれない。
いい意味で僕は、「対抗」が出来たのかもしれない。
頭が痛くて、パソコンを使ってデスクトップの画面をずっと見ていることすら「苦しい」状況に、いい意味で僕は、慣れてしまったのかもしれない。
ふふふ。
今現在の本心で言えば、本当にそれは、絶望していない。
頭が痛くて、目を開けていられなくて、薄目で画面を見たり、一旦書いてはキーボードがちゃんと入力出来ているかを確認する時目を開けて、それ以外は出来るだけ目をつぶって。
そうして、出来るだけ頭の痛みをくらわないよう、それでも今の僕の想いを書き残して。
不幸せな状況だけれども、絶望ではない。
・・・・。
・・・・。
僕は、それを、『示したい』のかもしれない。
・・・・。
そう、かも。
・・・・。
このブログをやっている意味。
このブログを書きたい意味。
今のところ僕の日常の中で、このブログを書くことが最優先な意味。
僕は、このブログを書くことで、自分を「肯定」しているんだ。
存在肯定。
自分で自分は救えない。
だけど、(救いを・助けを)求めることは、自分しか出来ない。
自分自身が「声」を出して、もしくは「行動」して、救いや助けを求めなければ、「誰も」助けてくれない。
このブログはいわば、僕なりの「SOS」であると同時に、僕という脆い存在を最低限、「地上」に浮き上がらせていくものなのかもしれない。
生きているかどうか、それすらも僕は、分からないから。
生きているのかどうか、分からない。
生きているのかどうか、分からない。(CV岡崎京子。←wwww)
・・・・。
・・・・。
・・・・。
僕はそういう存在で、しかしまた・・・。
しかしまた、そういう存在ということですら、自分自身、『気づきにくい』んだ。
・・・・。
なるほどね。
これ、かなり重要だね。
自分が、気づかなくては、始まらない。
自分自身が、自分が生きているのかどうか曖昧と思いつつ、生き続けていることに気づかないと、割と「危ない」。
生と死の境界線が、曖昧で。
それは別に、今日明日に死ぬとかどうとか、メンヘラ的な話をしているのではない。
そうではなく。
もしかしていつか遠い未来、今の僕を見て、『かわいそう』と思ってしまうような。(ん?どゆこと?←ww)
「発狂」っていうのは、割と『突然』やってくる。
自殺とかって、・・・。
自殺とかっておそらく、その日におそらく、『積み重ね』がやってきてしまう日だと、僕は思うから。
過去が凝縮されて、今という時に一気に襲い掛かってくる感覚。
その感覚が、僕の言う「発狂」。
発狂は、急にはやってこない。(現象的には急になんだが。)
発狂は、「積み重なった結果」、やってくる。
・・・・。
・・・・。
(上手く伝えるために、どう表現していいか、考え中考え中・・・)
例えばの話。
死にたい死にたいとか言っているうちは、死なない。
それは何故かっていうと、その死にたいという言葉は、割と最近の死にたい状況に対して、悲観しているだけだから。
その状態は、まだいい。(←ww。でもマジで。)
ヤバい状態は、なんて表現したらいいんだろう。
時空の繋がりが、一旦途切れる。(←ww。でもこれ、マジすぎる。)
まるで自分が、過去にも未来にも、そして現在にもいない状況。
それが僕にとっての発狂で、おそらく自殺してしまう人も、そういう心理状況が自分の心模様にその時映っているのではないか。
ほんと、心が「真っ暗闇」になってしまう状況。(or 真っ白状態)
それが発狂状態。
それがおそらく、本当に死んでしまう人の直前の、心理状況ではなかろうか。
そういう、「次元の断絶・時空の断絶」が何故起こってしまうかというと、時々自分の『醜い過去』を、「凝縮」してしまう時があるから。
薄暗い過去が凝縮して、真にどす黒くなって、自分の脆く儚い心にぶつかってくる。
それに、耐えられなくて、一種の「幻覚」を見せられるというか・・・。(というか、今日のこの文章、どれくらいの人がついてこれているのだろうか(笑)。というかぶっちゃけ、ついてきてもらっても、困る。出来るだけ、理解されずにあって欲しい・・・。)
死にたい死にたいとか言っているうちは、まだいい。
ほんとに心がヤバい状況だと、死にたいも言えない。
あああああああああああああああああああああああああああ、的な。
もしくは「・・・・・・・・」、的な。
「イナゴの大群」が、心の中に果てしなく終わりなく飛んでいたり。
もしくは本当に、「真っ白」。
まるで歴史が途絶えたような。
まるですべてが、「虚構」だったような。
僕にとっての精神的なヤバい状況・いわゆる「発狂状態」は、そんな感じ。
これを避けれれば、僕はそこまで絶望はしない。
例え、頭が痛くて、目を開けている事すら困難だとしても。
それがだいぶ、長く続いたとしても。
・・・・。
・・・・。
「発狂状態」について、もう少し詳しく話そうか。
何故、こういうことが起きるか。
前にも以前述べたけれど、こういう状態になるのは、「幸せ」になった時。
「愛」に、満たされてしまった時。
悲しいかな・・・・(笑)。
だから、精神が不安定な人にとって、幸せや愛は、いわば「猛毒」になってしまう。
悲しいかな。
これまでが絶え間なく終わりなく、ずっと「絶望」状態が続いていて。
そんな時に、まるで「当たり前」かのように、時折誰かに優しくされたり時折誰かに必要とされたり時折誰かと同じ時や場所を共有したりすると。
今まで自分の残酷な過去が・・・。
それに今まで無表情で耐えて、痛くないと自分を偽って耐えて、耐えて耐えて耐えて・・・。
そして誰かに優しくされたり必要とされたり抱きしめられたりすると・・・。
それまでの、自分では何とか「当たり前」と思っていた残酷な日常が、「当たり前」とは思えなくなって・・・。
自分がこれまでどれだけ、ひどく醜く愚かな日常を果てしなく終わりなく永遠に繰り返してきたかということを、知ってしまって。
それに、耐えられなくなる。
いまさら、「温もり」を与えてくれても。
もっと早く、助けろよ。
遅いよ。
遅い。
遅い遅い遅い・・・。
・・・。
・・・・。
そうすると、辛い過去が一気に、今現在の自分に襲い掛かってきて、すっごく「気持ち悪くなる」。
嘘と現実が入り交じって、頭が混乱してきて、そして「ぷっつん」してしまう。
もう、自分の心や頭では、理解できなくて。
終わる感覚。
ヒトとしての自制心を、すべて失ってしまう。
一瞬にして自分は、「崩壊」していく。
それはヒトとしてよりも、動物としても生き物としても。
世界は「暗転」していって。
『終わることにだけ、意味を感じ取ってしまう』
それが僕にとっての「発狂状態」で、おそらく死を選択する人も、それに近い感じではなかろうか、と僕は推測している。
・・・・。
・・・・。
てか、旅行から帰って早々、だいぶ重い話になってしまったな(笑)。
色々、書きたいことはある。
やはり、旅はいい。
いや、正確に言えば、日常から離れて違う場所違う空間に行って、そしてまた、自分を肯定してくれる、自分の家に帰ってくるのが、すごく意味があるというか。
家に帰ってこその、旅というか・・・。
やっぱりこの部屋は、大好き。
ほんと、この部屋だけが、僕を肯定してくれる。
この部屋だけが、僕の精神を守ってくれる。
好き、だいちゅき、僕のこの部屋。
・・・・。
・・・・。
とりあえず、旅行中に書いてた日記をあげて。
てか、日記中、ほとんど日記を書くことが出来なかった。
東京旅行。
行きたいところが多すぎて。
観たいものがありすぎて。
ホテルに帰って、そこから体力を回復して、そして日記を書くという時間が惜しいなと思って。
だから、今回の旅行では、ホテルに帰るとすぐにそのまま寝ちゃったパターンが、割と多かった。
それはとても、幸せなことだろうけど。
どうなのかな、と、やっぱ思った。
その日のうちにその日思った想いを、やっぱ書き残しておきたいし。
2・3日後に、その日を思い出してその日の想いを書くのは、嘘になってしまうと思うから。
出来るだけ、「鮮度よく」、その日の想いを書き残しておきたい。
でも、東京の行きたい所にいけるのは、今回はこの3日間しかなかったんよ~~~。←ww
そこらへん葛藤しながら、今回の旅をしていた。
かなり満足。
かなり、写真もとった。
というか、今後おそらく、ブログに写真を載せることを多くしていきたい。
1週間前に、はてなブログの有料会員?になった。
無料だと、ブログに上がられる写真に限度があったり。
また、写真をあげるのにすごく時間がかかったり。
なので約1週間前、有料会員になった。
・・・・。
・・・・。
そんな感じ。
とりあえず、旅行中の日記をあげて。
その後、この日記をあげて。
今日、これ以降書くかどうかは、まだ決めていない。
微妙。
だいぶ、疲れているから。
すごく、想いは溜まっている。
というか今回の旅でだいぶ、僕も変わったというか、色々なものを見れて、「整理」することが出来た。
満たされることで僕たちは、次のステージに向かえる。
旅は、そういう「満たし」が多い。
観たい景色を見れるって、素晴らしいな。
お金ってやっぱ、すごいな。
また、お金では買えない女の心って、やっぱ「面白いな」。
旅と女(そしてイベント)。
それを軸にして生きていくことは、これからも変わらない。
ただ少し、今回の旅で僕は変われた。
それはおそらく、今回の旅がだいぶ、「僕の過去」に絡んでいたことだから。
20歳前後、僕は「東京」にいた。
一番好きだった僕がいた街へ。
一番、今の僕が気になっていた僕がいる街々へ。
今回の旅で、僕は行けた。
まるで過去が「上塗り」されていくような。
ぼやけていた10年前の想いが、今回の旅でまた、「鮮やかさ」を取り戻したような。
僕が変わったのではなく、過去の僕と出会い、今の僕をより愛すことが出来るようになったというか。
まだ、分からない。
旅から帰ってきたばかりだから、だいぶ頭が一杯一杯になっている。
疲れた。
でも、旅行出来て、よかった・・・。
やりたいことが、たくさんある。
会いたい人が、多くいる。
幸せ。
家に帰ってこれて、幸せ。
家にいることが出来て、幸せ。
まだまだ、欲しいものがある。
それに向かって行く前に、たくさんの障害はある。
まあ、僕は、僕のペースで、やっていくしかない。
はあ、疲れた・・・。←www
11月4日月曜日。時刻は午後9時半。
・・・・。
・・・・。
・・・。