1個前に書いた記事みたいな感じで、まだ文章としては全然処理できない感じだけど、とりあえず残しておきたいから残しておく。
僕たちの生きるで一番残酷なのは、続けなければいけないことだと思う。
つまり、死ぬまで「エンディングが無い」ということだ。
これ、かなり重要で。
ここを気にしておかないと、幸せとかもかなり曖昧になってしまうから。
僕たちは死ぬまでエンディングがない。
つまり、僕たちは死ぬまで幸せを『維持』していかなくてはいけない。
大学受験みたいに、合格して「終わり」ではない。
死ぬまで、僕たちは僕たちを続けなければいけない。
だから、なんていうかな・・・。
僕たちは死ぬまで生きることに興味を持っていないといけないし。
また、つまり何かに対して興味を持っていないといけない。
何かに対して熱中していないといけない。
何かに対して縛られていないといけない。
あることに熱中して満足して、その幸せが最高到達点に達して、それで「終わり」というわけにはいかない。
日常は続く。
僕たちは寝ることで、一日一日「リセット」される。
日々新たに、何かを想わなければいけないし、また新たに幸せを「積立て」、そしてまた「崩さ」なければいけない。
昨日幸せの最高到達点に達してからといって、今日不幸せだったらダメなんだ。
その「波」を、生きるのなら僕たちは続けなければいけない。
それが馬鹿らしいと思った人たちは静かに死んでいく。
ある意味やっぱり、生きている人ってダサいよねと思う。
味がしなくなったガムをいつまでも噛み続けているのだから。
僕の場合、というか・・・。
やはり、10代後半ぐらいに感じた世の中に対する最初の「ファーストコンタクト」が一番面白くて。
生きることを繰り返していることに気づいていなかったというか、気づかないほど毎日が新しいことの発見で一杯であって。
それが今では、「既視感」が多くあって、それがかなり「クソ」。
(笑)。
まあ別に、それでも僕は生きたいのだけれども。
それを支えているのはやはり、「アウトプット」だなと思える。
今まで受け取ったインプットに対して、僕はまだ自分なりの「答え」を吐き出せきれていないから、僕はまだ生きている感じだ。
ふう・・・。