2月9日「今日の徒然。」

コミュニケーションとは何か。

・・・・。

2月9日日曜日。時刻は午後7時。

今日の一日を大半を、外付けHDDに溜まったお気に入りリンクの整理に当てていて。

外に出たのはいつもの通り、「プール」に行った時ぐらいだ。

それでまず、何だけど・・・。

やっぱり僕が求めているのは「コミュニケーション」だなというのを、今日生きてみて再認識した。

一般的に人の欲求は食欲性欲睡眠欲と言われていて。

食べ物と寝る場所と性欲処理をしたいと・・・。

それで、そこでやはり抜け落ちているのがやはり「コミュニケーション」なんだよな。

コミュニケーションっていうのはやはり、僕たちが「人」として成立させるために、見落としがちだけどとても必要なものなんだよな。

だから、仕事、つまり「職場」というのが、すごく「意義」を持っている場所であり。

個人個人がお金のために集まっている場所だけど、しかしそこで僕たちは無償で「コミュニケーション」を得ている。

これはすごく、大きいんだよな。

僕たちってやっぱり、「他人」といなきゃいけないんだよ。

それはやっぱり、「ネット間」とはまた違って。

リアルな人やリアルな人の息遣いを、僕たちは吸収する必要がとてもあるんだよな。

だからよく、結婚するか結婚しないかがよく世の中で話題になるけれど。

そこでは色々な観点から論じられているが。

結婚している人はやはり、とても身近にかつとても頻繁にコミュニケーションする相手がいるということで、圧倒的に結婚してない人より人として成り立っているんだよな。←ww

まあ結婚していても、お互い全然意思疎通が出来ていなかったり。

また結婚していなくても例えば友達がいてその人とよく会話したりまた彼女がいてその人とよく会話するのなら変わらないのだけれど。

つまり僕は、「マズい」というわけ。←www

僕にしてもまた、「親」という存在がいるだけ救われている。

コミュニケーションって、2段階あって。

1段階というか、まずは喋らなくても「会う」ことが重要なんだよね。

リアルな人がいるということを日々認識していく。

だから僕、最近土日だと、外出した時に食事する時とか、あえてその外食先で長い時間佇んでいるもん。←www

他人と人と空間を共有することが、すごく「安心」する。

やっぱり僕の場合、「一人」にいる状況というのは、人間的に「悪」になっていくなあと、改めて今日実感した。

一人になるとやはり、「独善的」になるんだよね。

それはまあ、そう僕たちが設定されているといえばそうなんだけど。

世界がとても自分中心になってしまう。

自分をすごく「過信」してしまう。

僕はそれを外に出て、外食先のレストランとかの空間でその認識を「調整」するんだよね。

僕ってやっぱり、社会の中の一人の人ということを、そういう公共空間で思い出していく。

だからまた・・・。

今の僕にとってやはり、今の「会社」で働くというのが、僕を「健やかに」させているなあと実感する。

やっぱり、土日の僕が連続していてはダメなんだよね。

特に僕は、土日に会う人がいなかったり、会話する人がいないから。

そうするとだいぶ、僕は僕に近づきすぎてしまい、それはつまり僕を僕から遠ざけてしまう。(←どっちやねん。←www)

他人の同じ空間で過ごし、会話することで、僕たちは知らず知らずのうちに「救われて」いるんだ。

それはなかなか、「お金」では買えないよね。

というか、「盲点」だよね。

僕たちは僕たちがそれを必要としていることに、なかなか気づいていないから。

食欲と性欲と睡眠欲求を満たされば、まるでそれで人間として成立すると思っているから。

コミュニケーションが必要だなんて、当たり前すぎて、気づきにくいよね。

これは去年の秋ごろ、僕が「女性」とお金を使うことによってコミュニケーションをしていた時の感覚の記憶なんだけど。

やっぱり素直な自分で他人とコミュニケーションしている時って、『時がとても進んで行く』んだよね。

それはつまり、女性とコミュニケーションする前の僕というのは、まるで昔に「時が止まっていた」感じ。

つまり、一人の僕というのは『進んでいない』んだよ。

もっと僕にとってキツイ言い方をすると、『生きていない』。

単純に、他人とコミュニケーションすればいいという話ではない。

やはり、したい相手とコミュニケーションしなければいけないんだよ。

もっと言うと、『好きな相手』とコミュニケーションしていかないと、僕たちはいつまでたっても「取り残されていて」、変わっていない、つまり自分を時間的に置いてけぼりにしている。

だから、以前瀬戸内寂聴が、不倫してでも恋愛すべきと言っていたけれど。

それもある意味、正しい。

それは好きな相手とコミュニケーションしていることになるのだから。

昨年の秋の、女性と会っていた時の「時間感覚」を忘れたくないし、あの時間感覚を再び僕の中に巻き起こらせたい。

今の僕は、生きていないから。

今の僕は、時間的に「止まっている」から。

働くことで会社の中で社員とコミュニケーションすることで、最低限の人として僕を「維持」してはいる。

でも、会社内での僕は僕を出せていない。

自分を出してコミュニケーションしないと、時間は「加速」していかなんだな。

そのために・・・、というか・・・。

家にいるのではなく、「外での居場所」であったり「外でのコミュニティ」を求めている僕なんだけど、それで僕がやりたいことは結局、「僕のアウトプット」なんだよな。

これは昨日のYOUTUBEの動画でも述べたけれど。

僕はこの異常な頭痛を患っていて、それをやっぱり理解して欲しい。

理解して欲しいからこそ、そういう僕を僕はアウトプットしていかないといけないんだ。

そうするとやっぱり、そのアウトプットする場というのはどうしても「インターネットの世界の中」になる。

結局インターネットの世界が、一番僕が見られる可能性があるから。

現実の世界ではこの僕の頭痛を伝えるのは難しい。

だからこそ、今新しいアウトプットを作ったりしていて(それは頭痛とは少し関係がズレるけど)

外の居場所を求めつつも、僕はやはり僕をただただアウトプットしていくしか、僕を知ってもらう機会はない。

・・・・。

そんな感じです。←www