2月21日その3「this is 日々徒然」

現状の自分確認。

「死→生」

2月21日金曜日。時刻は午後9時。

基本的に僕は死んでいる。(←ww。←わらえねー。←・・・。←ww)

何だろう、死んでいるというか・・・。

すごく「ぼんやりとして」生きている。

死にたいとは思わない。

それは何故?

う~ん・・・。

今の僕で重要なことはそれほど「したいこと」がないということだ。←www

それな。

強いてあげればしたいのは「コミュニケーション」である。

そのコミュニケーションを導くために、今、「新しいアウトプット」を作ったりしている。

うん。

基本的に僕は別に、何もしたくない。

それでまあ、僕は「生まれ」でだいぶ恵まれていて。

一応働いているけれど、別に働かなくても、もしくは今のように「適当に」働き続けても、おそらく「お金」に困ることはなく、餓死することなく僕は生き続けるだろう。(まあ親的に金はあるが、僕自身にはそれほど金はない)

同世代がどれほど持っているか分からないが、平均的な同世代よりかはおそらく持っていないのでは、と思う。

僕の現在の僕の生き方を形成しているのは、僕の「病」とそして僕の「性格」だ。

この性格がかなり大きい。

そしてその性格は親から受け継がれてきたもので。

うちの親って何か、お金に執着していないんだよね。

お金持っているのに、全然贅沢しない。

いわゆる「物欲」が薄い。

それに僕もかなり「遺伝」されている。

そういう「物」よりも、どこか創作物をする人たちの「才能」に憧れを感じたりしている。

・・・・。

僕は何もしたくない。

僕は基本的に、死んでいる。

かと言って別に、死を選択はしない。

毎日はつまらない。

そのつまらない中で、今は唯一「アウトプット」だけが、僕の「心の支え」になっている。

アウトプットは、「他者」と繋がっているから。

以前このブログで述べたけど、生きるって結局、「繋がる」ことだけだと思う。

基本的に「生きる」ことに対して、僕は「価値」を持っていない。

死にたくはないのだけでど、生と死の価値はそれほどない。

いやむしろ、死の方が高いかなと思っている。

だからある意味、自分で死を選択できる人は尊敬するし「凄いな」と思う。

生きるって結局、死ねない人の集まりというか。←www

多くの人は死ぬのが怖いというか、『面倒くさいから』、死ねないから生きていると思う。

(まあ実際は、生きたくて生きている人が大半なのかもしれないけれど)

生きるって別に、「意味がない」んだよね。

しょうがなくみんな生きている。

仕方なくみんな生きている。

その『生きる言い訳』として、まず挙がるものが「繋がること」である。

繋がれるから僕たちは「まだ」生きている。

繋がることを言い訳にして僕たちはまだ生きている。

生きているなら繋がりたい。

しょうがなく生きるなら、それなら繋がっていた方が「不安」が少ない。

だから僕は、今、アウトプットに力を入れている。

アウトプットすれば、自分を理解してもらえて、自分が会話したい人とおそらく繋がっていけるから。

自己表現しなければ、自分を理解されることはない。

理解されたい、繋がりたいのなら、いかに自分を見てもらえるか、「努力」であったり「試行錯誤」しなければいけない。

基本、みんなどこか「不安」なのである。

基本、みんな自分を認めて欲しいのである。

基本、みんな自分の声を聞いて欲しいのである。

基本的に、みんな聴いて欲しい。

基本的に、みんな自分を理解されたい。

だから、他人に自分を理解されることは難しい。

それよりもまず、相手を理解した方がいい。←これ、重要。!!

自分なんかなくして、人の話を聞いた方がいい。

みんな、聞かれたがっているから。

・・・・。

自分が理解されたいのか。

自分は何が不満なのか。

どうすればそれが解決されていくのか。

そこら辺は学校で教わることはなく、各自で「気づいて」いかなければいけないから、生きるって難しいのである。

仕方なく生きるのであれば仕方なく繋がりたいし、繋がるためには自分を捨てて、相手を想う。

それが、大人や。←wwww

何だだいぶ、話がぐっちゃになってしまったぜ・・・。

はあ、疲れた・・・。