居場所がないなら自分で作ればいい。
そう言うのは簡単だけれども、それが難しいからみんな出来なくて、でも突き詰めれば結局「それしか」、自分にとって最高の居場所というのはないのではないか。
そう考える最近の僕である。
誰かが作った居場所ではなく、自分が望む居場所。
当たり前といえば当たり前の話だけれど。
一番簡単で、分かりやすい自分の居場所は自分の「家」であり「部屋」である。
だからこそ僕はそこに、「本棚」を用意して、自分の好きな漫画であったり自分が興味がある本を置いてきた。
それが今日までの出来事だ。←ww
それでだいぶ、救われている。
うん。
実際これで、僕の幸せの6割は成立していると言ってもいいだろう。
一番の居場所はまず、「家」だ。
自分が一番自分らしくいられる居場所。
それは家だ。
しかし僕と同じく多くの人の場合、家だけでは自分の居場所は成立しない。
何故か。
それは他人と、繋がっていないからだ。
家に家族がいれば家族と家で家族と繋がっているし、家に彼女彼氏がいれば彼らと繋がれる。
だけど僕たちの欲というのは深く。
どこまでもどこまでも、他人を欲する。(まあ、この世の中がみんなで支え合っているから、他人を欲しまた、自分も他人に何かを与えるというサークルの中に僕たちは入っている。)
自分の家や部屋だけでは自分の居場所は成立しない。
簡単に言ってしまえば、そんな自分を「知ってくれる人」・「共有してくれる人」を僕たちは欲しているのだ。
だから、ツイッターやインスタグラムでフォロワー数を気にしたり。
「他人の存在」をある程度欲することはいつまでも消えないし、その欲は悪いことではない。
繋がっていることで、この世の中は成立しているのだから。
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何を言いたいの、犬飼ユウ?←www
だからまとめると僕がどう自分の居場所を作るかは
その1
まずは自分の部屋を一番の居場所にする。
その2
自分をアウトプットしていく。自分を自己表現していく。
その3
そうして他人と繋がっていく。
という感じ。
自己表現っていうのは別に「創作」に限った話ではない。
他人と「コミュニケーション」することだって立派な自己表現だ。
むしろ、それこそが一番の自己表現と言ってもいいかもしれない。
他人とコミュニケーションが一番、そこに自分を感じられると僕は思う。
その1
自分の部屋で自分を見つめ、整理し、
その2
自己表現やコミュニケーションをし、
その3
他人と繋がっていることを実感し、今日もぐっすり眠りゆく、というのが僕がしたいことであり。
この循環が僕の「居場所」なのかもしれない。
まあ、僕にとってはその2の「自己表現やコミュニケーション」が長年の悩みであり。
様々なアウトプットを試みているのだけれど。
その1がある程度ある限り、僕はそこそこ幸せなのだ。
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