4月12日その4「自宅を居場所にする。→自己表現とコミュニケーションをする。→繋がっていることを実感しぐっすり眠るの循環。」

居場所がないなら自分で作ればいい。

そう言うのは簡単だけれども、それが難しいからみんな出来なくて、でも突き詰めれば結局「それしか」、自分にとって最高の居場所というのはないのではないか。

そう考える最近の僕である。

誰かが作った居場所ではなく、自分が望む居場所。

当たり前といえば当たり前の話だけれど。

一番簡単で、分かりやすい自分の居場所は自分の「家」であり「部屋」である。

だからこそ僕はそこに、「本棚」を用意して、自分の好きな漫画であったり自分が興味がある本を置いてきた。

それが今日までの出来事だ。←ww

それでだいぶ、救われている。

うん。

実際これで、僕の幸せの6割は成立していると言ってもいいだろう。

一番の居場所はまず、「家」だ。

自分が一番自分らしくいられる居場所。

それは家だ。

しかし僕と同じく多くの人の場合、家だけでは自分の居場所は成立しない。

何故か。

それは他人と、繋がっていないからだ。

家に家族がいれば家族と家で家族と繋がっているし、家に彼女彼氏がいれば彼らと繋がれる。

だけど僕たちの欲というのは深く。

どこまでもどこまでも、他人を欲する。(まあ、この世の中がみんなで支え合っているから、他人を欲しまた、自分も他人に何かを与えるというサークルの中に僕たちは入っている。)

自分の家や部屋だけでは自分の居場所は成立しない。

簡単に言ってしまえば、そんな自分を「知ってくれる人」・「共有してくれる人」を僕たちは欲しているのだ。

だから、ツイッターやインスタグラムでフォロワー数を気にしたり。

「他人の存在」をある程度欲することはいつまでも消えないし、その欲は悪いことではない。

繋がっていることで、この世の中は成立しているのだから。

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何を言いたいの、犬飼ユウ?←www

だからまとめると僕がどう自分の居場所を作るかは

その1

まずは自分の部屋を一番の居場所にする。

その2

自分をアウトプットしていく。自分を自己表現していく。

その3

そうして他人と繋がっていく。

という感じ。

自己表現っていうのは別に「創作」に限った話ではない。

他人と「コミュニケーション」することだって立派な自己表現だ。

むしろ、それこそが一番の自己表現と言ってもいいかもしれない。

他人とコミュニケーションが一番、そこに自分を感じられると僕は思う。

その1

自分の部屋で自分を見つめ、整理し、

その2

自己表現やコミュニケーションをし、

その3

他人と繋がっていることを実感し、今日もぐっすり眠りゆく、というのが僕がしたいことであり。

この循環が僕の「居場所」なのかもしれない。

まあ、僕にとってはその2の「自己表現やコミュニケーション」が長年の悩みであり。

様々なアウトプットを試みているのだけれど。

その1がある程度ある限り、僕はそこそこ幸せなのだ。

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