7月30日「自己と他者と、ネットとテレビ。」

ちょっとした僕の「考え」を、書きながらまとめていく。

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7月30日木曜日。時刻は午後0時(お昼)。

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他者と自己について。

僕たちは人(他人)を少なのか嫌いなのかについて。

結論から先に言うと、僕たちは人(他人)が嫌いだろうと思う。

誤解しないようもう少し詳しく言うと、他者よりもまず、自己が僕たちは好きなのだ。

自己とは自分で想う存在である。

おそらく、それが非真実でも真実でもどちらにせよ、僕たちは僕たちが「そう思ったこと」が、一番好きなのだと思う。

例えば美味しいものを食べて美味しいと思ったり。

素晴らしい映画を観て素晴らしいと思ったり。

自分の「想い」が、僕たちの存在において何よりも重視され(というか、重視しないと自己の存在が危ぶまれる)、そういう意味で自己の想いをある意味邪魔する他者というのはウザく、嫌いであると僕は思う。

こういうことを前提にしないと、すべての話は始まっていかない。

それで、思うに、芸能人におけるネットとかでの「嫌われている人」というのは、何らか、僕たちの想いを「邪魔」しているから、予想以上に嫌われているのではと思う。

嫌われる人というのは、ふつうの人より自己に介入してくる人。

自己主張が強い人。

もしくは、いかなにも自分に擦り寄ってきているようで、大いに自分を拒絶している人。

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芸能人とかは、一般の人より多く露出している。

ある意味それは、存在しているだけで「目障り」となっている場合が多々あるのかもしれない。

それ故に、そんな関わってきながらも、自分にあまりストレスを与えない人が、「いい人」であったり、「好感度高い人」なのかもしれない。

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つまり、ちょっとここまでをまとめると、芸能人、つまり意識的にせよ無意識的にせよ、多くの人に自分の存在を見せつけている人は、僕たちは基本嫌いなのである。(僕たちは基本、他者が嫌い。自分の想いに介入してくる、自分の想いの吐き出しに横入りしていくる)

何よりも僕たちが好きなのが自己。

自分以外というのはある意味、「透明人間」であり、自分の物語をこぎみよく運営・遂行していく「道具」にすぎない。

道具とか透明人間に邪魔されるのは非常に腹が立つ。

それが僕たちは芸能人とかに対して「嫌い」と思う感情ではないか。

逆に好きな芸能人は自分を邪魔しない。

自分の世界観を邪魔しない。

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こんなことを思ったのは、最近の、例えば女子プロレスの人の自死とか、男性俳優の自死とかがちょっとした原因。(話している内容はちょっとズレるけど)

テレビというのはやはり、出演者が意識している以上に、視聴者に一方的にある意味「攻撃」している。

すごく個人的なことだとしても、それを一旦テレビというマスに流してしまうとは、多くの人を「邪魔している」と言ってもいいかもしれない。

つまりそれだけ、不特定多数の人に「情報」を流す場合、注意しないといけないのではと思う。

芸能人とかは、結局、「私有地」が増えすぎたのではと思う。

つまり、ネットに侵入しすぎとか。

莫大な人に向けたメッセージをテレビやラジオで向けながらも、一方で「個人な繋がり」が未だに強い「ネット」にも、彼ら彼女らは居場所を求めてようとしている。

こはちょっと、「強欲」だなと思う。

そんなに自分を、みんなに見せたいのかって。

基本的に僕はやはり、「テレビ(ラジオ)」というのがやはり異常な媒体だと思う。

何だろう・・・。

テレビやラジオってやっぱり、作り手(テレビ局や芸能人)有利で、視聴者をかなり軽視していると思う。

だからこそ視聴者はテレビとかでは自分の立場が弱いから、ネットで居場所を求める。

そこに、テレビに出ている人が入ってくるのは、「強欲」だなと僕は思う。

強い人がさらに強い武器を手に入れる感じ。

どちらにも、安息なる居場所を芸能人が求めるのは、何かズレているなと思う。

ネットが最近非難されている感じがあるけれど、どちらかと言えばテレビの方がもう少し「静か」になった方が、もう少し「平穏」だと感じるのは僕だけだろうか。

芸能人がテレビのまま、ネットであーだこーだ言うのは、どこか僕は気持ち悪い。

テレビの色にネットを染めるような感じがして、・・・・。

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