「居場所とはどこか」。
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7月30日木曜日。時刻は午後1時前。
居場所論争。
というか、ここ2、3年の僕は結局、これ探しに終始している気がするし、おそらくこの議題が、今後僕の根幹でありすべてな気がする。
居場所。
はっきり言って僕は、これが欲しいし、これしか欲しくないと言ってもいい。
というかおそらく、ほぼすべての人がそう言えるのではないだろうかと思う。
「生きる」とか「生きるとは何か」と言うとだいぶアバウトな議論になってしまうけど、「居場所」を考えるとより自分に近づける気がする。
居場所。
居たい場所、安心する場所、生きていると感じられる場所。
それが僕の思う居場所。
そういう点で、今僕は世界史や日本史を勉強しているけれど、今の世の中は居場所を作りやすい時代だなと思う。
何故か。
それは金銭的にインフラ的に生活的に、僕たちが過去の歴史より圧倒的に気持ちよく過ごせるという点で。(とりあえず日本に限定する)
そういう意味でまずは、「お金」があれば、居場所の「半分」は僕たちはゲット出来る気がする。
そして過去の歴史と比べて僕たちが圧倒的に恵まれているのは、こうして「想う」ことであり、また「表現出来る」ことだと思う。
当たり前のように多くの人がツイッターで呟いているが。
あのように、自分の想いを「文字」にして「文章」にして表現出来ることがどれだけ恵まれているかを、僕たちはあまり知らない。
つまり・・・。(つまり?←ww)
僕の居場所とは、物質的には「お金」で解決でき、精神的には「表現」であると思う。(何かだいぶ理論ぐちゃぐちゃだが許せ。←ww)
とりあえず一人として居場所を定義する場合、お金と表現。(一人として、というのが重要。実は居場所は一人では成立しなかったりしたりする。)
その表現の中で僕がやはり落ち着くのは、「文字」であり、次に「絵(画像)」であると思う。(YOUTUBEなどの動画は、無数の絵の連続であり、そこに音声データの文字が入っていく)
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そんな感じです。←www
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