8月13日その3「生きるとは何かの答え。」

考えまとまっていないけど、書くことで気づこうとしている。

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8月13日木曜日。時刻は午後10時半前。(寝ろ)。

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基本的に僕たちは、「今を生きる」ことを目的としてここにいる。

これは揺らぎない。

これは生きている人すべてに当てはまる、とても「平等」であり「残酷」な事実である。

また、歴史上すべての生きてきた人も、「今を生きる」をして、人生を使い、そして死んでいった。

人は命を授かった以上みなすべて平等に、「今を生きる」ことしか出来ない。

この事実はとても「ユニーク」だなと僕は思うし、僕の思考回路はすべてこの事実から成り立っている。(←??←ww)

して、「今を生きる」とはどういうことか。

簡潔に言えばそのままのことである。

1秒1秒と刻んでいく時間の「流れ」に逆らうことなく、今を生きる。

この流れに逆らうことは人類史上誰も出来ていないし、おそらくこれからも出来ないのではと思う。(タイムマシーンとか出来る前におそらく人類滅ぶ)

僕たちは生きる理由はただ一つ、今に従って生きるというだけである。

して、生きるとは何か。

基本的には「比較」したり「学んだり」していくことが、人間的生きるだと僕は思う。

心的生きる。

またこの生きるとは、この現代においてとても平等に僕たちに与えられた生きるだと思う。

古代や中世、果ては近代などを見ても、こんなにも自由に市民一人一人が「想う」ことを許された社会はないと思う。

昔の人の多くは、思うことすら許されず死んでいった。

基本的に思うとはこのような「文字」であり「文章」を読んだり観たり書き残したりすることだと思う。

とても平等に誰でも、自分の意志で想いを紙であれオンライン上であれ動画媒体上であり発信や受信できる。

とても自由だと思う。

生きるとは、生きるという言葉を与えられて初めてその意味を探ることが出来る。

生きるとう言葉を自分にぶつけることで、生きるを探ることが出来る。

とても平等にとても自由に、僕たちは「言葉」を与えられていると思う。

そしてまた僕たちは、この言葉をどうように受け取っているか。

基本的にそれは先に述べたように、「比較」することで得られていく。

何との比較か。

それは、「他者」との比較である。

自分だけでは自分は分からないし、また自分の生きるも分からない。

地球上自分一人だけではその一人は存在しないと同義である。←かっけえ・・・。←ww

僕たちは「他者」があることで、初めて自分の生きるを発動することが出来る。

つまり、生きるとは他者あってのことである。

誰と比較するか。

その他者とは別に、生きている人に限らない。

過去の、歴史上の人でもいい。

他者との比較で、今の自分の生きるが定義されていく。

だから、誰と生きるかがとても自分の生きるにおいて重要なのである。

自分の生きるを大切にしないといけない。

それはつまり、誰を信じて生きるかが問題、ということである。

信じるべき他者が、自分の心の「柱」となっていく。

誰と喋りたいか、誰を信じたいか、誰と愛し合いたいか、誰と議論したいか、誰を罵りたいか、誰に学びたいか。

信じるべき人が見つかれば、自分の生きることに迷うことが少なくなる。(もちろん時間が過ぎるに従ってあまりその人のことを信じられなくなって、他の人を信じたりする場合もある。というかそのケースは多い。)

生きるとは、誰を信じるか、誰の話を聞きたいかが、重要である。

そういう意味で、僕はこれまで「本」や「漫画」を多く購入してきた。

好きな本や漫画というのも、偉大な他者である。

とても好きな他者である。

もしくは、かつて好きだった他者である。(例えばスラムダンクやワンピースのキャラ、みなさん好きでしょ?)

好きであったり偉大な他者が、自分の生きるを形成していく。

だから、他者に興味がないとおそらく、生きることが一気につまらなくなっていくと思う。

そこが抜けてしまったら、しばらく休んだ方がいいと思う。

他人を思ってこそ、自分を思うことが出来ると僕は思う。(故に今の部活もやっているところがある。)

他人と自分というのは、いわば「鏡」である。

他人に対して攻撃してしまう人はおそらく、自分が窮地に立っている人だと思う。

他人とは自分であり、他人の生きるとは自分の生きるである。←は?←ww

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知らず知らずのうち、僕たちは「比較」している。

例えばおそらく、僕たちは「ニュース」を見るのがすごく好きだ。

他人が大勢集まって、ニュースというのが生まれている。

他人の中でも目立つ人が、ニュースになって現れる。

ニュースになる人というのは、ある意味その時代その日々の「象徴」とも言える。

他人が寄せ集まって「時代」が生まれていく。

他人が寄せ集まって「国」がうごめいていく。

みんな「他人」が好きであり、それはつまり「自分」が好きなのである。

自分の生きるにとって、他人とは切れない。

切ってしまったら、死んでしまう。

切ってしまったら、自分の存在がなくなっていく。

自分探しとは他人探しである。

毎日ニュースを見ている僕たちは、毎日自分探しをしている。(そしてそれは終わらない)

僕たちの人生は他人しかいない。

僕たちの今を生きるとは、他人の集合知でしかない。

誰を尊敬するか。

誰を見習うか。

誰に憧れるか。

誰が嫌いか。

それで僕たちの生きるは形成されていく。

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おわり~~~。

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