死ねえええええええええ。(≒はあ・・・(ため息)。)
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9月2日水曜日。時刻は午後9時半。
昨日述べてた教授がツボがどうのこうの、ググってみたら一般的に「マヨネーズの瓶とカップ2杯のコーヒー」という話です。
昨日僕の場合、そのツボに入れるべき大きなものって何て述べましたっけ?
今、自分の昨日のブログを見直していたら、その辺は述べていなかったので、今述べようかな。
基本的に、僕がまず優先すべきは、『自分を休ませること』である。(現時点で)。
生きる上で僕は、「休むこと」をまずは優先させている。
何故そうかというと、休んで、「健やかな状態」でなければ、僕は「まあまあの判断」が出来ないからだ。(こういう話、このブログで何度の述べているけれど。)
疲れていない時の自分は、僕は「まあまあ」愛せる。←ww
疲れていない時の、平凡な日常的な自分は、僕は好きだ。
それを出来るだけ、維持したい。
今の「普通の状態」を、日々継続させていきたい。
そのためには、ある程度元気な状態でいるためには、僕は人より多く「休むこと」であったり、ベッドに横になって「何もしない時間」というのを尊重している。
「無」というのを、僕はすごく重要視している。(それは一般的に、ミニマリストさんたちが大切にしているのにも近いと思う。)
今の僕たち現代人というのは、多くを持ちすぎている。
一度リセットすることで、一度空っぽにすることで、一度無に戻ることで、その時の自分にとって必要なモノ「だけ」を所持していく精神が、とても大事だと僕は思っている。
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- に戻れる状態。
また、その「0」が自分にとって「尊い状態」。
そういう状況を作っておくのが、まずは僕は優先させている。
そのために何が必要かというと、僕の場合、「ひとりに戻れる状況」だと思う。
おそらく現代人にとって一番ストレスになっているのは「人間関係」だと僕は思う。
社会人なら、主に「職場」で。
だから僕の場合、完全に仕事は「そういう場所」と割り切っている。
仕事で嫌な思いをした場合でも、休んだり、また職場から離れてしまえば僕の場合その人間関係を忘れられる。
僕の場合、現在の職場でそれほど職場の人と深く仲良くはなってない。←www
仕事を行う上での協力関係のために人間関係を円滑にはしているが、職場の人と深い付き合いになったり、友達な人はいない。←ww
職場から離れてしまえば、僕は自分の好きな自分へと戻る「権利」を得ていく。
自分にとって、好きな自分は僕の場合それほど職場にはない。
むしろ、仕事がない日の、自由な、家でダラダラと休んでいる方の自分の方が、愛すべき自分である。
だから、そっちの自分を、大切にする。
自分を取り戻せる方の自分を、まずは「最優先」させる。
それが現時点での僕である。
自分がしたいことがある程度できる。
それが僕の望むものであり、これからも望むものである。
そして、休んだ後に僕が望むものは何か。
それはう~~ん、何だろう。←www
特に、もしかしてないのかもしれない。←ww
まあ、まずは「健康的な身体」のために、ほどよく身体を動かしたりすることぐらいで。
後は、読みたい漫画を読むぐらいで。
休む以外の欲求で、それほど高い欲求は、僕は持ち合わせていないのかもしれない。
休めて、自分の心に正直な状態であれば、僕はそれほど何かを望んではいない。
そういう状態が僕にとって、「0」である。
何かがある状態ではなく、何もない状態が、僕にとって「0」であり、そこから何かを得られる状態が、「0」なのである。←??←ww
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ふう・・・。
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そんな感じで、疲れたので寝るす。(バルス)。
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