「政治」に対する、個人的な感想まとめ(アバウト編)。
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・・・。
9月6日日曜日。時刻は午前10時。
政治!
ということで・・・。←ww
基本的に僕は、政治に対しては「静観」というか、あまり触れないように生きてきて、またおそらくこれからもそうであろうと思う。
ちなみに生まれてこの方、「選挙」というものに行ったことが無い。
あ。
政治を語る前にさ、「選挙」についての意見を書いていく。
う~ん、はっきり言って、政治に興味がある=選挙に行っている、ではないよね。
政治興味は、僕もまあまあある。
あけど、イコール選挙に行くべき、ではないよね。
選挙に行っても、変わらない、意味がないと僕は思っている派です。
というかさ、本当に政治に興味を持っているなら、選挙に行ったぐらいで政治に参加したと思えているって、だいぶ浅いよなと思う。
というかさ、選挙に行くって、すごく「他人任せ」の政治参加だよね。
それならまだ、自分が立候補するなら、まだ、全然分かるけど。(ちなみに、立候補しても、また例え当選しても、政治的参加は僕はまだまだ薄いと思う。この辺の僕の認識について後々述べていく)
「選挙」どうこうで、政治に関心どうこう言っているの、だいぶ方向違いだなと思う。
というかさ、選挙に行く労力あるなら、「他のこと」、具体的に言うと「自分のためになること」を優先させた方がいいのではと思う。(自分をより高める、自分をより成長させる、自分をより満足の行く自分にさせるというのが、一番自分にとって政治的意味合いを持つ)
今、()内で述べたけれど、「政治」どうこうって、その半分以上は「自分」に関わることだよね。
つまり、政治に不満を持っていて、政府や議員に文句を言っている人たちは、彼らが頑張ることで、自分の今の状況を上昇してくれるよう願っている、っていう認識でいいのかな?
政府や議員が頑張ることで、自分の生活や状況をより高めてくれることを願って、彼らに対して不満や文句を言っている、という認識でいいのかな?
つまり、自分に深く関わっているから、彼らにあれやこれや言うと。
それはそれでいいのだけれど、それと同時に「自己的政治」、つまり僕たちひとりひとりがより自分を高めていく気持ちは、それぞれ持たないといけないよね、っていう話。
一般的な、政府や議員による政治に対して文句を言っている人に対して、僕はその点で疑問というか、「無意味さ」を感じている。
おそらく、政府や議員がめちゃくちゃいい政治をしても、僕たちの生活はそれほど変わらないだろう。
何というか、議員や政府に不満を抱いている人に意見って、彼らに対して「3億点」を要求している気がする。
それは100点満点中の、3億点。
かなり高要求な、かなり非現実的な願いを彼らに要求しているから、そんなの叶うわけないし、また彼らにその点数を要求するなら、自分自身も「3億点の自己改革」を必要とすべきではと思う。
「政治」を変える、つまりより「世の中を変える」つまり「自分の生活を変える」には、議員や政府などの中央的政治も半分あるけれど、残り半分は「自分的政治」、つまり自分自身が変わっていくことを認識の中で消してはいけないポイントだと思う。
分かりやすく言うと、「年収」の話。
いくら政府が頑張って、景気を上昇させたりしても、どんなに頑張っても数%の話であろう。
しかし自分が変えれば、数10%、いやどんどん倍とかも可能であろう。
また、はっきりそういうお金の世の中が嫌であれば、お金ではない、どこか地方で、一日にかかるお金がとても少ない、自給自足に近い生活をすればいい。
また、今の中央政府が嫌であればもう、海外に出て、新しい中央政府の所に行ってしまえばいい。
いつまでもいつまでもぐちぐちと、例え変わっても大層変わることのない政府に対して不満を言っていも、意味がないというか、それより「自分」が変わることの方が正しいというか、はっきり言ってそれしか方法が無いと僕は思う。
だから、政治に日々文句を言っている人は、・・・・、だなと思う。
何がしたいのか、いまいち分からないというか・・・。
確かに、「政府を監視する」というのはとても重要なものである。
しかし、何だろう、虚しくないか?と思う。(ここら辺丁寧に僕が思っていること説明しないといけないけど、長くなりそうなので今は割愛する。)
また、政府を監視するよりも、まずは自分を監視することも大事だよね、って思う。(自己観察、自己俯瞰)
だからすごく、空の他人に興味がある人たちが多いなと思う。
それで、思うのは、政治というのは「プロ野球界」にとても近いなと思う。
言うなれば、首相というのは贔屓チームの「監督」の立場に近いなと思う。
プロ野球のファンは、チームが弱いと大抵「監督」を批判する。
それがすごく、「浅いな」と僕は感じる。
そこにすごく、ため息が出る。
責めるべきはその贔屓チームの「組織」であり、また「構造」ではないかと僕は思う。
監督がいくら変わっても、ぶっちゃけ意味がない。(詳しく書くと違うのだが、これは後々書くかなあ。)
まず考えるべきは、その「組織」でありそのチームの「構造」である。
今のプロ野球界で一番強いチームはどこか。
それは「ソフトバンク」だ。
過去10年で圧倒的に日本一に輝いている。(確か6回)
ソフトバンクが何故強いかというと、工藤監督や秋山監督が有能どうこう言う前に、ソフトバンクというプロ野球チームの「組織」や「構造」や「編成」や「仕組み」が強いのだ。
監督というのは、何だろう、その中の「1部品」でしかない。
それはとても大きな1部品なのだけれど、あくまで1部品なのだ。
また、出来るだけ可能な限り組織やチーム構造を高度に構築させていけば、監督が担う「持ち場」というのも極力減らしていける。(監督が担う持ち場を出来るだけ減らして、かつその持ち場で最大限の監督力を発揮できるように組織を作ることが重要。)
話は少し逸れるかもしれないが、僕は一応中日ドラゴンズファンで、ドラゴンズを応援しているのだけれど、ある意味「セリーグ」というのをだいぶ冷めた目で見ている。
だって全然学ばないし、パリーグより弱いから。
セリーグはいつまでもいつまでも学ばないし、何かいつまでもいつまでもパリーグより弱いという認識を持とうとしないくせに、毎回毎回交流戦や日本シリーズで負けているのを見ると、馬鹿らしいというか、学ばないなと思う。
何故強いパリーグから学ぼうとしないのか。
もしくは、何故強いソフトバンクから学ぼうとする姿勢を持たないのか。
その理由の一つとして、プロ野球球団はそれほど本気で勝とうとしている球団が少ないことがあげられる。(勝つ負けるは球団経営とは別にある。プロ野球球団の経営は、その名前が広告としてテレビやネットに溢れるだけで、ある程度成功していると言えるから。)
野球の話はそれくらいにして。
そして、野球に関連付けると、首相というのはプロ野球で言う贔屓チーム監督の立場に似ていると思う。
何だろう・・・、いくら首相を批判しても、また首相が変わったとしても、それほど変わらないよと、僕は思っている。
さっき例えに出したが、首相が変わって60点から70点とかに変わることはあるが、多くの批判者が要求している「3億点」を叩きだしてくれる首相なんてこの世にいなくて。
200点とか叩きだしてくれる国のトップはいるのかもしれない。
しかし2億点とか、3億点を叩きだしてくれるトップはおそらくこの世の中にいないだろう。
だからはっきり言って、いくら政府やそのトップの首相を叩いても意味がないというか。
それよりも先ほども述べたけれど、自分が変わっていく意識を高めた方が、自分は変わっていくと思う。
また、政府やそのトップを批判するよりも、その政府の「組織形態」やその形が作られている「制度」を研究した方が、いいのではと思う。
同じ穴からは、同じモノしか出てこないというか。
今の政府や首相というのは、今の組織形態や制度から生まれた産物に過ぎない。
だから、「政治」を考える時、まず何故そのような人になってしまった制度や組織形態があるのか、を考えた方が、政治っぽいのではと思う。
つまり、さっきの野球の話に戻るけど。
いくら贔屓チームの監督を責めてもほとんど意味がなくて。
その監督を生んだ組織編制を観察したり、その組織編制はどういう哲学や見識を持ってその監督を選び、またその監督とどういう関係性を持ってチームに携わっているかを見たり。
それを政治に言うと、「憲法」であったり「公職選挙法」であったり「その他法律」であったりそれらを用いて運営されている「制度?」であったりする。
人を批判しても、意味がない、もしくは変わらない、もしくは本質を外れている、と僕は思う。
もしくはそうしても、自分はあまり変わらないと僕は思う。
政治とは、つまり、「自分」であると、そこは変わらず僕の中になる。
何か自分を変えたい、変わりたいと思って、それを分かりやすく他人任せにしているのが、大抵の政治批判者、なのではと思う。
政府とは何か、政治と何かを問うと同じ以上に、自己とは何か、他者とは何か、社会とは何かなど、世界に散らばる多くのことに対して「疑問」を抱いていくことが、最も政治に繋がるのでは?と僕は思っている。
まあ、これまで長々と書いていたけど、簡潔言うと、『あまり政治に期待するな』、ということである。
こんだけ人類の歴史があって、それでも政治というのはあの程度の進化しか出来ていないのだから(まあ、めっちゃ進歩しているけどね、実際は)、政治うんぬん述べて、不平や不満を言っていても、意味がないというか、それよりも自分を優先させた方がいいよと思う。
何だろう・・・政府や政治が自分に与えてくれるのは、「お菓子のおまけ」程度と思って生きた方が、あまり期待せず楽に生きれるのではと思う、そんなにイライラせずに。
たぶん、政治批判者というのは、イライラしたいのだろう、それは野球ファンが自チームの結果に毎回イライラしているように。
それならしょうがないなと思う。
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