9月18日「依り場所を求めてと、これからの自分の生き方の方針について。」

「依り場所を求めて」。

・・・・。

9月18日金曜日。時刻は午後9時。

「依り場所に求めて」をタイトルにして、今日はまず語ろうと思う。

ふむ。←ww

どう生きるか。

何に向かって生きるか。

死ぬまでの「暇な時間」を、僕はどう過ごすか。

それを今日今一度、整理したいと思う。

「依り場所」。

何を日々想い、何をしていくか。

僕にとって、依り場所とはどこか、

先に何だろう・・・結論を言ってしまうと、僕の最大の依り場所というのは「死」であると思う。

このブログで幾度か述べてきたけれど、何故生きるかは基本的に、「死ぬため」、死ぬまでの過程だと僕は考えている。

何をしようが、何をなそうが、有名であれ無名であれ、死んでしまえばすべてが「無」に帰っていく。

だからいい意味でいえば、生きてるうえでやることはそれほど差はないというか、みんな結局死に、無に帰っていく。

どんなに今日幸せでも、どんなに満たされていても、最後は「無為」に帰っていく。

今日幸せでも明日また、その幸せを維持であったり頑張っていかなくてはいけない。

だから、究極的な幸福とは「死」である。

「死」以外に救いは、僕はないと思う。

死ぬことを前提にして、生きてゆく。

「死以外は救いがない」として、生きてゆく。

前提として、僕はそう思って生きている。

だから、何だろう・・・、生きている中で、常に「死」が近しいことは、それほど「悲しい」ことではないのかもしれない。

常に最大の幸福を感じつつ、生きることに対して「疑問」を忘れないまま過ごせるから。

死が生を眺める。

死に際から生きることの「有為さ」を探していく。

僕の基本的な思考ベースは今のところそれだ。

そして、次の段階。

死を思考のベースにしながら、死ぬまでの「暇な時間」を僕はどう使っていくか。

基本的に使いたい「道具」は、『言葉』であり、そして、それを受け止めてくれる「他者」だと思っている。

うん。

簡潔に言えば「承認欲求」だ。

他者を必要としているのは、他者に認められて初めて、自分の言葉が言葉として成立すると僕は思っているから。(言葉について以前ブログ内で述べた。今日は詳しくは述べない。)

「言葉」というのが唯一の「死」を探る、死に触れる道具となる。

その言葉を進化させる、その言葉を鮮明化させるのは、「他者の存在」だと僕は思っている。

だから僕は他者を必要としているし、自分の言葉を聞いてくれる「コミュニティー」が欲しいと言った所か。

コミュニティー探し。

それがまあ、依り場所探しということになる。

自分の言葉を聞いてくれる場所を探す。

自分はどんな言葉を紡ぎたいのか。

自分はどんな言葉を聞いて欲しいのか。

他者を通じて、他者の中で自分を探す。

そういう意味で、今唯一そういう場所になっているのは「部活」なので、そこを必要としているし、そこをもっと広げていきたいなと思う。

発展、を期待している。

発展とは?

発展することで、僕はもう少し「自由」になりたいと思っている。

今の生活はそこそこ幸せだけど、もう少しだけ自由になれる気がする。

「自由」とは何か。

具体的にここに今、あまり書きたくはないのだけれど・・・・、なので書かない。←ww

まあ、自分が一番それを分かっているので、そういうことです。←ww

そのためには部活の発展が必要だと思う。

なので、これからもまずは、部活の時間を大切にしたいと思いつつ、この部活は休日だとしても、朝から晩まで出来る訳ではないので、夕方~夜以外の時間は、今の生活の維持及び整理をやっていこうと思う。

部活。

どうなるの、だろうか・・・。

とりあえず、「年内」は続けようと思っている。

自分の理想とする形にそれまで、どこまでなっているのだろうか。

・・・・。

「未来」が分からないというのは、希望であり絶望であるなと思う。

だから、今の僕はあまり未来を考えない方がいいのかもしれない。

適当に一日を、『繰り返して』みようと思う。

ああ、もう今年もあと3か月。

1年を通して日記を書いたのは今年が初めてなので、一年の短さの長さをとても実感している。

僕はまだ「一年生」なのだ。

でももう、そんなに若くはない。

「40代」って、もう終わりじゃん。←ww

まあ、「10代」からすれば、「30代」も終わりなのだけれど・・・。

「40代」はあまり生きたくない。←ww

今の内に、今の自分を表しておきたいなと思う。

今の自分は、それほど嫌いではないから。

・・・・。

・・・・。

とりあえず風呂入って散歩してきて・・・、どうだろ、今日はもう、これで終わりかも。

・・・。

・・・・。