9月27日その3「部活についての考察。」

「部活についての考察」。

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9月27日日曜日。時刻は午後1時。

これ書き終わったら、プール行ってくる。←ww

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基本的にやはり、「面白く」なければいけない。

しかしまあ、とりあえすその要素は置いておいて。(何か面白いかとか)

その前に、この部活で作られるものは何らかのを整理したいと思う。

基本的に、物事というのはすべて「タイトル」で始まり「タイトル」で終わると思っている。

タイトルがすべて。

タイトル以上なことはないし、タイトル以外のことは伝えられない。

そういう意味でこの部活で作られるものは、主張が少なく、ただただその中に登場する「二人の物語」で完結すると言ってもいいのかもしれない。

そういう意味で言うと、第3者に伝わりづらいかなと思う。

あまり議論を呼ばないだろうからだ。

だから、何だろう、もう少し広まるためには、あくまでこの部活の「側」が面白くなければいけないのではと思う。

何か面白いことやってんな、的な。

作品それ時代よりも、まずはそのフォーマットが「気になる」、的な。(もちろん、そのフォーマット内で暴れてくれた作品に吸い寄せられて、人が増えることもあるけれど。)

僕もまた、この部活のフォーマットというか、側をより際立たせることに頑張っていこうと思っている。(と言っても僕自身、作品を作ることはなく、あくまでかなり受動的な動きだが。)

あくまでこの部活で僕が出来るのはフォーマットの維持であり、また如何に、多くの人にそのフォーマットが受け入れてもらえるかの他者との擦り合いであると思う。

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それで、どうやったらさらに面白くなるのか。(この「面白く」という言葉は結構語弊があるけれど。)

結局は何だ、小説的な面白さがこの部活で生まれる作品の面白さに一番近いのではと思う。

登場人物の経験することに対する興味、共感。

具体的にどんな内容であれば、爆発的な、このフォーマット内で面白さが爆発するのかは、僕自身かなり定まっていない。

ちょっとした考えはあるけれど、それが違ったりする場合があるので。(例えば、綴り対象が好きな2次元キャラであったりして、彼彼女に語りかけるように自分の人生を綴ることは面白いなと思っている。)

A(綴る自分)とB(綴り先相手)という二人の中で交わされるのだけれど、どちらかというとより語るのは綴る自分自身であると思う。

Bへ捧げるような文章を書きながら、自分の人生を語る。

自分を語る。

Bを通じて、Bとの出会いを通じて自分はどう成長したかであったり、どういった変化が起こったかについて。

なので、この部活の作品というのはある意味、『教会的役割』に近いのではと思う。

信じるもの(宗教なら神)に対して、手を合わせ祈って、自分を顧みて、自分を振り返って、捧げる。

「捧げる」、というのが、結構この部活の根幹を支えているような気がする。

捧げる気持ち良さ。

信じるものに対して自分を捧げる気持ち良さ。

つまり、何だろう、やはり、『依り場所』。

「依る」、というテーマが、僕の生きる上でも大きな意味を持っており、関心のある議題である。

つまり、この部活内の作品は、誰かが何かに依っている様子を観察する、と言ってもいいのかもしれない。

誰かに出会い、自分が何等かに変化してゆく。

「出会い」が「依り」を生んでいる。

この、「出会い」であり「依り」の面白さが、多くの人に伝わっていけばいいなと思う。

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何だろう・・・、それは絶対的なものではないんだよね。

誰かが何かに依っている状況は、そんなこと知らない他人からしてみればある意味興味がない。

だけど、全く興味がないものではない。

そういう距離感、大事だと思う。

そんなに好きではないけど、何か気になるという状況は、僕の取り巻く状況に置いて悪くはないと思う。

そういう、そんなに好きではないけど、時々気になる場所を、作りたいなとは思っている。

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まあ、そんな感じで結局、何が面白いかやどうしたら面白いかは解決出来ていないのだけれど、ある程度自分がこういうんがいいんではないかというものは持っているので、そこを頼りにしてこれからも適当にやっていこうと思う。

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