「死にたい気持ちについての考察。」
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10月14日水曜日。時刻は午後2時。
死にたいっていう気持ち、「希死念慮」というらしい・・・。
部活の勧誘でよく「note」を見ていて、希死念慮という言葉もよく見る。
死にたい・・・。
僕もまあ、その気持ちを持っているのだけれど、その気持ちって一体、何だろうなって最近よく考える。
それもまた、こうして寒い季節になることで、その想いが強くなっている。(去年通り、僕は寒い季節になると虚しさが増してくる。)
死にたい気持ち。
それはすごく、正直で純粋な気持ちだと思う。
また、「生きる」とは何かも見えてくる。
生きている人は、生きたいと思って生きているわけではない。
死にたい気持ちもまた、今すぐ命を失くしたいわけではない。
どうでもいい気持ち。
無くなりたい気持ち。
すべてが灰色に、すべてが無意味に見えてしまう気持ち。
はっきり言って、死にたい気持ちの方が「正しい」と僕は思う。
何故なら、どんなに頭がいい人でも、生きる理由を明確に答えられる人は現在も、また過去の中でもいないから。
唯一その理由を挙げれるとしたら、「他者性」だろう。(子供のためにとか、愛する家族のためにとか、誰かのために、もしくは誰かのせいにして、僕たちは自分の命を守る。)
僕たちは「空っぽ」なのだから、本質的には、生きる理由などはなく、だから死に向かう気持ち(死にたいという気持ち)は、正直だなと思う。
僕自身、死にたい気持ちを抱えながら死にたくはなく、またそれほど生きたくはない。
どちらかというと生きたいが、胸を張って強く生きたいとは言いたくない、といった感じか。
(だって、生きるって醜いし。←失笑)
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生きる理由って基本、考えてはダメなものだと思う。
だから、生きながら、死にたい気持ちを出来るだけ薄めるためには、部屋から出て、外で誰かとい続けることだと思う。
考えてしまうと、死ぬ方に「加速する」と僕は思う。
だから、あまり想っては、ダメなのかなと思う。
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