10月18日その2「最近の自分についてや、最近の社会や世の中の流れについて」

「最近の自分についてや、最近の社会や世の中の流れについて」

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10月18日日曜日。時刻は午後9時半。

まずは最近の自分について。

とりあえず今は、自分を「空っぽな状態」のまま、「維持」した感じにしてある。

とりあえずもう、自分をあがいたりもがいたりすることなく、ある程度固定された、もう芯は変わらない自分がそこにある。

後は、無限に広がる「他者性」に任せるというか、他者と交わることで自分を変化させていくというか・・・。(ただその他者性の量であったり質が今後どうなっていくかは読めないが)

自分自身はもう、変化ない。

自分自身はもう、一定の「回答」を出せる状態になっている。(この話は主に部活について。)

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話変わって。

最近の世の中や社会について。

最近すごく感じるのは、一人一人がすごく、「認められたい欲求」が強まっているなと感じる。

特に、「何もしない、ただ生きいてるだけの自分」を認めて欲しい欲求であったり。(まあ、僕も当然あるけど)

これはやはり、「ネット」のチカラが大きいと思う。

HSPとかも、これに該当するし、LGBT?みたいなマイノリティーセクシャリティーもそれに該当するし、また最近のフェミニストも、これに該当する。

要は今まで我慢していた、もしくは我慢するのが当然と思っていたけど、「違和感」を感じていたのが、この違和感を社会に対してぶつけている感じ。

つまりまあ、「私を認めて」、という感じなのだけれど。

今まで、数年前、数十年前であれば、我慢することや自分の胸の内に秘めて置くことであったことが、ここ最近、それはツイッターとかフェイスブックとか、ひとりひとりが発信出来ることになったことで、それが「加速」しているように感じる。

まあ、それは悪いことではないだろう。

しかし今後より、「カオス化」、つまり、「承認欲求の奪い合い」みたいなことが起こってくるだろうなと思う。(というか、もう起こっているけど。)

みんながみんな、「自分とは」であったりを考える時代になった。

昔であれば、そんなこと考える必要はなかった。

自分と向き合うことなんて、場がなかったといえばそうだし、向き合って吐き出しても、無駄だから。

しかし今なら、例えばツイッターでつぶやけば、少数であれ、誰かがその意見に賛同してくれる。

自分の意見を聞いてもらえる。

自分を受け止めてもらえる。

それがより、加速化している世の中と言えよう。

まあ、こういう風な世の中はいい面も悪い面もある。

「承認欲求」とは、終わりがないからだ。

また、いくら叫んでも、誰かが認められた時、誰かが奪われる状況があるからだ。(つまり全員が全員、幸せになることはない。)

何だろうね・・・。

世間や社会に自分を認めて欲しい欲求って終わりなくて、またその意見が通った時、必ず誰かが被害をこおむる、もしくは立場を小さくして生きなくてはいけない感じ。

結局、「声が大きい」奴が勝つ感じ。

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まあ、そんな感じで、少し、いやかなり「うるさい社会」にはなっている気がする。

みんながみんな、「自分探し(他者承認欲求)」「自己主張」した結果、世の中はどうなっていくんだろうね。

まあ、結局僕たちは一人で、またその一人の手前には「二人」しかないのだけれど。

「無数の人々(社会の人々)」をあまり考えても意味がないというか、まずは自分の周りの、今生きているリアルな生活をメインにして、そこから思考していくしかない感じ。

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ごめん、今回だいぶまとまりがないわ。

おやすみ~。

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