11月5日「部活について。僕の言葉が、まだまだ足りない。」

あ。

「部活」、について。

何か、まだまだ僕自身の「言葉」が足りないなと、最近改めて思っている。

以前から述べているように、部活発足当初からその部活についての「イデア」といういか、どうなればこの部活が面白いのか・また面白いとみられるかについて僕なりの理想形は出来ているのだけれど(ちょっとそれは嘘。部活発足して2、3か月で今現時点での頭の中の理想形は到達したかなあ・・・。発足当初は僕自身まだ理想形を描けていなかったというのが本音。)そのイデアに向けての僕自身の部員、もしくは部員候補への「言葉」が、まだ全然足りていないと思う。

と言っても、それを改善出来るほど僕が「能力」や「俯瞰力」がないのがどうしようもない点なのだけれども。

何というかまだまだ、「フィードバック?」の繰り返しというか、僕の部員への言葉→部員の反応→それに対する僕の受け止め、そしてまた僕の部員への言葉の循環を繰り返すことで、僕の認識がより「具現化」していき、出てくる言葉も変わっていく。

なので、僕の能力不足だけれどそれはどうしようもなくて、その循環によって僕が少しずつ変化することで、その能力不足を少しでも補っていこうというのが、今の部活の本質だと思う。

なんか、ほんと、この部活自身について「申し訳ないな」と、思っている。

この「理想形」に僕自身の能力不足でなかなか近づけないのが、ほんと、ごめんなさいというか・・・。

しかしまあ、日々、まあまあ楽しくやっています。(大体、2時間半~3時間ぐらい毎日やっている。)

「繰り返し」を今は、やっていくしかないなと。

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それで、その部活の内側についての話だけれど。

この部活で僕がこの部活が特異であると思うのは、「クローズドでありながら限りなくオープン」であらなければいけないなと思っている。

この部活は一見、その部活名からしてクローズド、つまり「第3者」をあまり意識しないで行われると思ったら実は全くの逆で、とても第3者の意識を必要としている。

思うに、第3者とは何か。

僕が思うに、その意識はやはり必要だと思う。

そもそもの話、自己表現(アウトプット)というのは2つの性質が根本的にあると思っていて、それは「自分のため」であることと「他者に評価される」ことだ。

第3者への意識とはつまり、他者からの評価。

つまり、第3者から見ても自分を理解してもらえるということ。

「図」で描くと分かりやすいのだけれど、自分というのを「円」として、他者からの評価というのは、『自分でも気づかないけど自分である自分を認識出来る』、ということだ。

自分のためだけに書くと、確かにそれは自己分析へと繋がるが、「見えていない」。

つまり、はっきりいって、自分を全く理解してないと言っても過言ではない。

社会に生きる僕たちはやはり、「他者性」、つまり他人に理解してもらうことがとても重要で、他人に理解される自分こそ、自分であると僕は思う。(説明不足で誤解はらむが、半分ぐらい正解。)

それ故アウトプット(自己表現)とは自分だけが理解出来ればいいのではなく、やはり「他人から理解されること」がとても必要であり、その他者に理解される自分こそ自分なのだ。(ここら辺の話は以前「他者性」について述べた時にある程度述べた。)

そういう意味でこの部活で作られるものも、「自己満足」だけではやはりダメで、他人に理解される、他人が読んでも何か「心を打つ」必要があると思っている。

そういうことも含めて、僕が部員に対して「言葉」を投げかける必要があるが、今の僕では上手く説明出来ないンゴゴゴゴ。←ww

なのでまあ、今の僕に出来ることは、ゆっくりと循環を繰り返していって、部員との言葉を重ねることだと感じている。

そういう感じで、寝ます。

最近また、「グミ」に少しはまっています。

また今日、中日ドラゴンズがAクラス入りを決定されました。

おめでとうございます。

それでは、おやすみなさい<(_ _)>。

11月5日木曜日。時刻は午後9時半。

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・・・。

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