現在の僕の、主に「生きること」を中心とした色々な考えを、こうして書きだすことで自分自身でも整理しておこうと思う。
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まず、現在の、そしてたぶんこの日々徒然を書き始めてからたぶん一貫していると思うのだけれど、僕は生きることを基本、「否定」している。
生きるということは基本、虚無から始まり虚無に終わり、またその途中過程すべてが虚無と言ってもいい。(言い過ぎ。←ww)
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僕は、生きることに対して意味を持たせようとする考えを否定している。
生きることに対して意味を持たせようとするのは、「嘘」である。
また、それら根幹をなしている僕の考えとして、僕は「笑顔」というのがあまり好きにはなれない。
それは自分も、また他者も含めて。(特にまあ、他人の笑顔に対して)
笑顔というのが「不気味」に思うし、また、笑顔って脆いし、また儚いなと思う。
笑顔って、なんていうんだろう・・・、ズルいなと思う。
笑顔って、なんて言うんだろう・・・、何も知らないなって思う。
笑顔って、「無垢」ゆえに、ムカつくし、また他人が笑顔であるならば、僕はあまり笑っていたくないなと思う。
つまり、「幸福(≒笑顔)」というものに、僕はあまり寄れないのかもしれない。
と言っても何だろう・・・、生きたいと言えば生きたいが。(ここら辺については後で詳しく述べる。)
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それでは僕は、何を求めているのか。
それでは、僕は、何を求めて生きているのか。
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・・・・。(こうして書きながら、自分自身でも気づこうとしている。)
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やはり基本、「無し」でありたいと思っている。
生きていることに対して、意味を持たせようとすることは、やらないようにしている。
今は、出来るだけ自分の世界の中で、もしくは自分がそれを世界だと認識した他人が作った世界の中で出来るだけ在りたいと思っている。(生きているのであれば)
何だろう・・・。
世の中の多くのことが、見ることが嫌になったので、だから、それらを見ないようにしている。(例えばテレビとか、またネットの自分が見たくはないものとか。)
出来るだけ自分の世界と似たようなものだけに囲まれて、今は暮らそうとしている。
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今の僕の生きるというのは、今の日常、つまりそれは「今の会社で働いている状態」からの「変化」を、求めているような気がする。
僕は20代前半までは、ほぼニート、たまにアルバイトしていたけど、働かなくても、長時間会社という組織にいなくても、日々を過ごせる状態だった。
それはある意味、「ノンストレス」であり、ある意味、「理想郷」であったから、その頃の僕は、その自分に対して別に、「変化」を求めていなかった。
今僕が、働くのを止めてまたそのような状態に戻りたいかと言えば・・・、よく分からない。
まあそれは、「親の視線」というのが大きいだろうけど、それがなかったら、僕はおそらく、あまり働かない状態にまた戻るのではないかと思う。(親が死んでもおそらく、親はまあまあ金持ちなので何とかなりそう)
つまり、僕の今の何か「変化」というのは、今のある程度の日数会社で働いていることに対しての「アンチテーゼ」ではないかと思う。
生きたくはない、もしくは生きることに対して意味を持っていないが、親の視線や社会の視線を意識して、僕は今、ある程度自分を「曲げた」もしくはある程度「ストレスを与えた」状態で日常生活を送っている。
A 20代前半のほぼ働いていな、ノンストレスだが社会に属していない状態。
B 現在の、ある程度働いているがある程度社会に拘束され、ある程度ストレスを日々負いながらの生活。
僕は、A B以外の形の、新しい日々を、何か探しているのかもしれない。
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生きることと死ぬことに対して。
生きることに意味を持っていないにしても、即「死」にはつながらない。
何故か。
おそらく、それらを考えることが出来るのも、生きている間だからだ。
生きていることに対して虚無とか、意味がないと思えるのも、こうして生きているからだ。
僕がまだ死なない理由というのは、そこにある気がする。
つまり、僕は「想う」ということが、まあまあ好きではないか、と。
僕は、幼いころから特に、「夢」というのがなかった。
小学校の卒業文集とかにはおそらく、「発見者」とか「科学者」とか書いていた気がする。
それはおそらく、「想う」ことが出来る人を発見者とか科学者と述べたのだろう。
僕の原初的なやりたいことは、ただ単純に「想う」ことなのだ。
生きることに意味がなく、生きることは虚無である。
しかしそれは、自分が生きているから証明されている気がする。
僕が死んでしまったら、僕の考えはもう誰も思えない。
また、生きることに意味がないとか虚無であるというのは、僕が生きることで証明されていく。
僕は、自分の生が虚無であることを感じ続けたいのかもしれない。(それって、ある意味、究極のMだよね。←ww)
ぼーーっとすることが好きである。
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生きていることに対して意味がなく、また虚無であったとしても、日々「何もしない」のが正解だろうか。
色々なことをすることで、しかしそれらが意味がないことが証明されていくのではないか。(面白い考えだなあ・・・。何もしないとその何もしないだけが虚無だと証明されるが、それ以外は証明されない。だから色々なことをして、やっぱり虚無だなと証明していく。)
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それで、話を戻すけど、AとB以外の生き方。
それを担っているのが今のところ、「部活」になると思う。
僕はある意味この部活に、AでもBでもない所に「引っ張っていって欲しい」と望んでいるのではないかと思っている。
何かしらの「変化」を、僕は望んでいる。
新たなる虚無を知るために、自分の出来る範囲で、自分がそこにいたい、新たなる「場所」というのを求めている。
Aでも、Bでもなく。
ある意味、A以上B未満。
Aの場合ノンストレスだが、社会と繋がっていない。
Bの場合ある程度社会やコミュニティーに繋がっているが、ストレスがあって、また「本当の自分」をあまり表現出来ていない。
AとBの間を、僕は「部活」に求めているのかもしれない。
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何が言いたかったんだっけ?←ww
書いていて、疲れた。
自分の想いを整理していて、疲れた。
それにしてもさ、最近、どんどん寒い時期になってきてさ、心がだいぶ「楽しい」ことが失われてきてるんだよね。
楽しみたい。←ww
心を、最低でもドキドキワクワクさせておきたい。
そのための部活でもある。
ただ、今日はもう疲れた。
寝るだす。
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