11月21日「コンテンツ世の中とは何か。」

最近よく思うのは、というかこれは、以前少し述べたかもしれないけれど・・・。

最近よく思うのは、「コンテンツ」、もしくは「ストーリー」、もしくは「エンタメ」って、僕たちにとって「何」っていうこと。

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ほら、今の世の中ってさ、それが「無限」にあるじゃん。

ほら、今の世の中ってさ、それで溢れていて、またそれらによって、僕たちの会話とか友達とか、成り立っているところがあるじゃん。

これって歴史的に見ても、稀な時代なんだよね。

昔って、その昔がどこまでかは分からないけれど、基本的に「文学」しかなかった。

もしくは、端的な「踊り」とか「音楽」とか。(CDや今のネット世の中みたいに誰しもが聴けるものではなく、実際にその歌う人の目の前に行かないと聴けなかったり見れなかったりした時代)

今ってさ、そういう僕たちの心を満たすものに対しての距離がものすごく近い、というかほぼ0で、誰でもお金を払えばコンテンツに触れられる。

そんでさ、このコンテンツによってほぼ僕たちの日々の「楽しみ」って生み出されているじゃん。

分かりやすく言うと「テレビ」とか。

まあ、「ネット」でもいいけど。

逆に思うと、これらコンテンツに全く触れないと、僕たちの生活って、「何」になるのかなあって・・・。

コンテンツであったり作品であったり、ストーリーって、僕たちにとって何なのか。

今の世の中はそれに溢れていて、それがあることが当たり前になっているけど、そういう状況に生きると僕たちはどういう風に形成されていくのか。

当たり前のようにみなに好きなもの・熱中出来るものがある時代って、よく考えると「ユニーク」というか、これらコンテンツについて面白いとか楽しいって思う気持ちや感覚って、何だろう・・・。

今はそれらがないと、僕たちは生きていけないというか、それらによって「楽しみ」が生まれていて、昔の人たちは逆に何を「楽しみ」にして生きていたのだろう。(というか、昔の人はそういう「楽しみ」という気持ちすらなかったのかも、ほとんどの人がこうして「考える」ことすら与えられていなかったから。こうして文章にして、自分とはであったり、世界とはであったりとか考えることすら出来なかった。また、考える必要もなかった。今の世の中というのは一人一人ある意味、大変な「重荷」を背負っているのかもしれない。)

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僕はちょっと、この今の「コンテンツ世の中」から距離を置きたいなと思っている。

とはいっても日常的にテレビを見たりネットをしたりゲームをするのだけれど。

そのコンテンツ世の中から離れた視点で、世の中を見渡したいなあと思っている。

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話だいぶ逸れるけど、今の世の中って「平等」に、だいぶ縛られているなあと思う。

平等って、みんなバラバラが許されているのが平等だと僕は思っている。

しかし今の日本はどちらかというと、「みんな同じ」にすごく強制感があるなと思う。

違っているからいいのに、何かみんな一緒の方に寄せようとして、ある意味「気持ち悪い」。

「差」があって、その結果「違い」が多々あるのを認めた方が僕的には「楽」なのに、「同調圧力」が日々生きていて強く感じて、疲れる。

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11月21日土曜日。時刻は午後5時半。

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