12月1日「今日は一日中、希死念慮?と寄り添っていた。」

今日、「希死念慮?」とかいう奴が多かった。

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12月1日火曜日。時刻は午後7時。

このブログで幾度か述べているけれど、僕は冬が苦手で、寒さがすごく「幸福」に直結する。

もっと具体的に言うとたぶん、「頭痛」×「寒さ」×「日照時間の短さ」が、すごく僕の頭や心に来る。

それで、最近は基本的に「朝起きた直後」というのが死にたいMAXで、数時間もすればある程度それが収まってくるのだけれど、今日は一日中死にたい気持ちで見舞われていた。(と言ってもマジで死にたいのではなく、死にたい気持ちと「共存」している感じ?。吐き気や気持ち悪さが常に自分の心を誘惑というか襲ってきて、それに対して自分は出来るだけ「無表情」で対応している感じ。(笑)。あんま笑えないが。)

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昨日の寝る前、ちょっといつもより頭痛がひどいなと思って、それがおそらく今日まで引き継がれた感じだろう。

幸いにも明日は仕事を休むので、一旦休憩。

それにしても。

それにしてもやはり、僕というのは人より「空っぽを生きる」ことが多いなと今日改めて感じた。

空っぽを生きる。

出来るだけ無表情に、出来るだけ何も無いように振舞うことで、不幸(頭痛)に対応する、といった感じか。(書いてて泣きそう。←ww←笑うな。←ww)

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まあ、別にそう生きるのは、自分としてはそこまで不幸ではなく、それはおそらく僕は、「親ガチャ」に大変恵まれているかで、やはりだから、親には感謝しかない。

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・・・・・。

また、今のこの心空っぽな状態でもすることの出来る「部活」にも、感謝している。

僕は、何かをしていたいんだ。(当たり前のことだけど。)

この部活をやる理由として、このブログで以前に述べたけれど、何も楽しいことが見当たらなくて、何もすることがなくなって、今唯一したくて、またやれることといえば部活だから、そういう意味で僕は、この部活に「救われているな」と思う。

人は何かにとりついていないと、「無」になってしまう、「虚無」になってしまって、何かに夢中になっていると「錯覚」していないと、もう死ぬ以外に意味を見いだせないから、そういう意味でこの部活は、僕をやはり死なせないでいさせてくれて、また、この部活に協力してくれる人たちに「感謝」しかないと改めて思う。

ああ、「シームレス」最高。

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この部活のコンセプトの一つとして、「シームレス」がある。(今、シームレスという単語の意味をネットで調べたら、僕の思っていた意味と少し違っていた。←ww)

まあ、「静けさ」的な意味合いで僕は使っていたのだけれど、ちょっと違った。←ww

「静けさ」が僕にとって唯一の「救い」だと思っている。

「静けさ」の中にすべてを込められていると思っているから、それを表現出来、また表現したい人が集まってくれるこの部活は、僕はやはり「好き」だと言える。

シームレス・・・・。

静けさって、英語でなんて言うのだろう・・・、シームレスって、何だ?←ww

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