12月1日その2「空を論ず。」

「空を論ず。」。

今ネットで検索して、この言葉ってあるかなって思ったら、無さそうなので、僕の「造語」なのか、でも何かしら禅とか仏教系の宗教でこういった考え方ありそうだけど。(僕はこうした自分で作った感じの造語を結構勝手に作って、自分の脳内で遊ばせることが多い。)

「空を論ず」

それはつまり、「虚無を追求する」「空っぽであり続ける」「死にたいと思いながら生き続ける」みたいに自分内で解釈している。

「空を論ず」

まあ、似たようなことを2か月くらい前に述べたけれど、この「空を論ず」を、今後の僕の生きるテーマにしたいなと思っている。

2か月くらい前に述べたのは、死にたいと思いながら生きたいと、確かそんなようなことを僕は言ったはずだし、今もそう思っている。

僕は、生きたいと思いながら生きたくはなく、どちらかというと死にたいと思いながら生きたいと思っている。

何故なら、死にたい気持ちの方が「正」だと僕は思っているから。

生きたいという気持ちより、僕は死にたいという気持ちの方が『美しい』とさえ思っている。(この、美しいといいう判断基準は、僕は何よりも優先すべきことだと思っていて、「美しい」ものに僕たちは敵わいはしないと思っていて、それはひいては僕たちの命よりも。「美しいもの」こそ至上であり、そして、何が美しいかという追求こそ僕たちが生きることを与えられた時間の中で一番優先して考えるべきことだと僕は思っている。)

(笑)。

命よりも優先すべきことがあるって、素晴らしいと僕は思う。

その事実はすごく自分を落ち着かせるし、そう思うと、自分の命なんてどうでもいいとさえ思うし、そうすると死に近づけて、「気持ちいい」とさえ思う。(勘違いして欲しくないのは、死にたくはないです。1か月くらい前に述べたけれど、死にたいという気持ちは生きているから想えるわけで、てな話。ただ、その生と死の狭間こそいいよねっていう話。)

・・・・。

・・・・。

ちなみに僕が今のところ一番美しいと思っているのは、それは「作品」であり「ストーリー」であると思っている。

つまり、生きている僕たちというよりも、生きている僕たちが生み出した「止まっているもの(例えば小説なり映画なり、美術なりであったり。)」

ある意味、生きている僕たちとは美しさのための「生の食材」であって、僕たちは調理されて、僕たちが僕たちでは無くなって(ストーリー化されて。静止した何かになって)、初めて美しさを得る、といった感じか。

・・・・・。

・・・・・。

つまり、生きている時間の流れの中で、僕たちの存在に意味はなく、その「ストーリー」(これは大きく言えば小説とか映画とかになるが、もっと僕たちに寄った、庶民的な話をすると、例えば友達同士でやりとりされるLINEの文字であったり、また恋人とで撮った写真であったり、またこうした日記であったり。つまり何らかの形で「残したもの」こそ、僕たちが残せる美しさであり、そこに僕たちは依ると僕は考える。(これもまた、今の「部活」に言える事なのだけれど))

・・・・・。

・・・・・。

話を少し戻して。

「空を論ず」。

僕はそこを、突き詰めたいというか、そこに「何か」を見出していきたい。

何が言いたいかというと、例えば「死にたい」という気持ちの中に「何か」を探したり、また「空虚」の中に何かを見出したり、「空っぽ」の中に何かを見出していきたいというのが、「空を論ず」、つまり「空虚を探す・突き詰める」、といった感じか。

「空虚」こそ、「全」である、と、僕は思う。

むしろ、それ以外に僕たちの存在を述べることは出来ようか。

すべてがつまらなく思えて、すべてが意味がなく見せる世界こそ、僕は「正」だと思うし、それとは何か、つまり「虚構とは何か」が、唯一僕は生きている中で「安息」出来る「居場所」であると僕は感じてる。

そして、その空を論ずために何が必要かというとやはり、「他者性(≒社会性)」であると僕は思っていて、それはある意味、「孤独でありながら孤独ではない」(何か、糸井重里みたい。←ww)ものではないかと。

詳しく述べると長くなるけれど、例えば友達や恋人とのラインであったり写真であったり、誰しもが残せるものだけれど、それは他者がありながらしかし一人な状況である。(ここ、ポイントである。)

それゆえ、孤独でありながら孤独ではなく、そこに「他者性」が潜んでいる。

・・・・。

・・・・。

結局僕たちは「想う」を開始した時点で、もしくは「言葉」を用いた時点でそこにそれを伝える「他者」がいるのである。

してその他者と「空を論ず」のが、僕のこれから、ではないか、と、僕は思っている。←は?←ww

・・・・。

・・・・。

・・・・。

そんな感じで、今後の自分について、「空を論ず」の意識をもって、生きようかな死のうかなと考え中である。←ww

・・・・。

・・・・。

・・・・。

12月1日火曜日。時刻は午後10時。