「現状でのこの部活とは何かという問いに対する答え」
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12月13日日曜日。時刻は午後0時。
以前まで、色々な観点からこの部活とは何かを述べてきて、今日もまた新たな観点、いやすでに述べたけれど自分自身忘れている観点から、この部活とは何かを述べようと思う。
簡潔に言えばこの部活の中で、「自分を表現して欲しい」。
もっと言うと、もう一度この部活の中で「自分を探して欲しい」。
何だろう・・・最近のこの2年の僕というのは「楽しい」ことがなくなって。
漫画とか、まあまあ楽しめるものはあるのだけれど、心の底から、20代前半まで持っていた沸き立つような「生命力」というのが抜け落ちた人生を僕は送っている。
心の底から、生きる楽しさを見出したい。
いや、見出せない状況で、何か「興味が湧くもの」「惹かれるもの・依れるもの」に触れていたい。
そういう思いで確か、この部活は始まったのと思う。(きっかけはまた違うけれど)
それで、やっぱりというか、何もかもがつまらなくなった中で唯一気になるのは「人」であり「他人」であり「自己」ではないかと、僕は思う。
自分とは何か。
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それを、改めて「客観的に探る」のが、この部活ではないかと思う。
自分を冷静に見たい。
自分を「俯瞰して」、自分を見たい。
何故この生き物はこうして生きているのか。
何を楽しみにして、どんな明日を夢見て、生きているのか。
この部活内で表現するものは、嫌でも自分を他視化(客観化)しないといけないと思う。
自分を「ストーリー」の中に入れる。
ある意味現実の自分から「乖離」させて、とあるストーリーの中で生きる自分を改めて自分で鑑賞する。
自分とは何か。
それは、自分を離れないと気づけないというか、俯瞰出来ない。
君は日々、何を想い、君は今まで、何を想い、そう生きているのか。
どういう理由があって今、そうした本能的行動をしているのか。
「流れゆく今の自分」を「理由づけ」する。
茶化すのではなく、真面目に正面から自分の存在を問う。
それが出来るのが、この部活ではないかと思っている。
自分とは何か。
それは、「他者の存在」があって初めてうかがい知れる、と思う。
君は透明な存在ではなく、だって透明ならば、存在していないと一緒だから。
僕たちはみな、「他人(の共感)」を求めている。
寂しいから。
自分が自分でなくなってしまうから。
他者がいて初めて、自分が在るような気がする。
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(終わり?←ww)
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