「時間によって自分を使い分けている話。」
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12月24日木曜日。時刻は午後10時半。
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だいぶ昔前、たぶん半年ぐらい前にこのブログでおそらく述べただろうけれど、この世の中、おそらくすべて、特に僕たちというのは「時間と空間」によって成り立っていると僕は述べたと思う。
「時間と空間」。
それは簡潔に言えば、「縦軸(≒空間)と横軸(≒時間)」で。
まず何より、「時間」というのが最強。
今を生きるすべての僕たちは今という時間軸の「上」に乗っていて、また歴史上のすべての人物はこの横軸のどこかの点の縦軸(≒空間)の中に生きてきた。
なので、すべては「縦軸と横軸」、つまり「時間と空間」で説明出来るし、また僕の生きるすべての思考法もまずはこれをベースにして考えているといっても過言ではない。
時間と空間。
縦軸と横軸をまずは自分の頭において、すべてを思う。
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それで、今日何を書くかということ、そういえば改めて自分というのは、「時間」、その日のその時間を気にして生きている。←ww。説明下手。
どういうことかというと、今現在の自分を思う時に、今の時間がどういう時間かをまず考える。
つまり僕は、僕というのはまずは僕があるのではないと思っている。
僕よりも、まず時間があって、今はこういう時間だから(例えば今なら午後10時半)、今の僕はこういう僕になっている、という。
つまり僕は僕ではなく、僕とはまずは「今の時間」ということ。
つまり自分を考える時に、自分というのをまず自分は考えていない。(説明下手ですよ。←ww)
「とある時間」があって、それがあって始めて僕がいる、生きている、ということ。
つまり、自分という存在より時間の方が自分である。←ww
僕は、自分というのを信用していない。
僕より時間の方が「絶対的」であり、この世の中で美しものベスト3にも述べたように、この世で一番美しいものは「数字」であり、その数字の僕たちの現実的なもので言えば数字とは「時間」であり、つまり時間こそ最強なのだ、と。(小学生みたいな発想やな。←ww)
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なので、僕は自分が迷った時、自分が分からなくなった時、自分とは何かとか考えるのではなく、今はこういう時間だから、こういう人間になりやすい、と思うようにしている。
まあ、時間に限らず、僕たちというのは「僕たち以外」で成り立っている。
自分以外で自分を探す。
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そういう、自分を「無」にすることで自分を探ることを僕はよくやる。
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基本は「時間と空間」。
つまり、今の生きている時間。
2020年12月24日木曜日。時刻は午後10時半。
次に空間。
地球の日本の・・・・、といった感じ。
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自分というのを、自分以外の「客観的要素」で自分を考える。
僕は自分を信用していない。
僕という存在を限りなく「俯瞰」する。
僕という存在を限りなく「空っぽ」だと自認する。
そうすることで見えてくる客観的な自分が、僕は好きである。←ww
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「時間と空間」。
それがある意味、僕を一番「愛している」存在なのかもしれない。
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