1月12日「疲れた。」

疲れた。

「最近、早く寝てまた睡眠時間増やしてるのと、最近会社とは何かや働くとは何かをよく通勤中や勤務中の車の中でよく考えている。」

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1月12日火曜日。時刻は午後7時。

最近、ほぼ毎日とあること、主に筋力トレーニングの一環でやっていることがあって、それもあってかよけい日々疲れが溜まるから、だからその分寝るのを早くしてまた寝る時間を増やしている。

「夜」という概念が僕の中でどんどんなくなっている(笑)。

夜の概念。

基本的に一日とは一生の縮図、もしくは単に僕たちは一日を「エンドレスループしている」と僕は考えていて、その中で夜の時間って極めてデリケートというか、僕の場合理解しがたい、その概要を掴みにくい時間帯(一生に当てはめれば死の時間帯)だから、まあそれも生き方の方法として一つかなと。

無理に夜に行動するよりは、早く寝て早く起きて朝何かした方がいい。(と言っても、寝る時間増えてるだけだから起きる時間は変わらないけれど。)

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二つ目のことだけど、詳しく書く余力が今は疲れていてないから、今度にする。

また、今島耕作部長を読み終えて課長を読み始めて、戦後経済の発展から凋落が何故起こったのかにも興味が湧いている。

二つ目にリンクするけれど、「会社」や「社会」とは何かをよく考えている。

また、生き方の方法論としても、「個的思考」で生きるよりも、「会社的、とある集団に属した自分的思考」で生きた方が柔軟というか、僕たちって社会に属して初めて僕たちだから、そっちの方がより自分を複数に、色々な角度から自分を捉えることが出来て、僕的には分かりやすいというか、そこをより掘った方が、自分が分かる気がする。

人って結局、その人以外の情報からその人が分かって、だからつまり「バックグラウンド」が見えないとコミュニケーションが成り立たない。

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ほんと、通勤中もしくは勤務中の車の中って、「亜空間」な空間だと思う。

自分の家の部屋にいたら、ある意味「自分の中」にいるようで、自分が分からないんだよな。

だけど会社に行ってしまうと、他者の存在が大きくなって、自分とは何かを考える余裕がない。

車の中だけは何か、すごく自分が「自由」に思える。

会社にも自分にも属していない、ある意味すごく解放?されたというか、「自分ではない時間」が車内になって、それがとても心地よく感じる。

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はあ、疲れた。

この後、寝るんご。

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