1月23日「今さらながらお金について感じた事。」

あ。

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1月23日土曜日。時刻は午前9時。

金。

昨日か一昨日(関係ないけど、一昨日ってあまり使わない。一昨日って聞いても一瞬それがいつか分かりにくいし、一昨日って表現このブログで初めて使ったかも。二日前だとすぐ分かるけど、一昨日って漢字で書かれると「おととい」って読めないし、つまりうざい。←ww)

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昨日かおととい述べた、結局今の僕の人格というのはとても「お金」に左右されているという事実は、自分で書きながらも、今ようやくその事実の実感を感じてきたというか、その「こわさ」を実感している。

つまり、今僕はある程度のお金を持っているけれど、そのお金が「0円」になったことを想像すると血の気が引くなと思った。

また「0円」すら超えて、例えば「借金3000万」とか想像したら、もう生きる気力がだいぶ削がれて、かなり絶望ど真ん中になってしまうなと感じた。

ああ・・・・。

改めて、お金って、こわいな。

また、お金によって今の自分があるし、むしろお金こそが今の自分の人格形成の半分以上を占めている気がする。

何だ、お金って・・・・。←ww

そういう「こわさ」があるから、僕は今までお金にあまり触れようとしてこなかったけれど、こうして振り返ってみると、やばいもんだな。

人格が壊される、もし今所持しているお金がなくなってしまうと想像すると。

お金、やべえ・・。

結局お金とはこの社会(主に資本主義社会)で生きるためのすべての「ツールの代替品」となっていて、いわばお金がなくなるとは手とか足とかを削がれる状況なんだ。

つまり、「自由」がなくなってしまい、かなりの「制限」を強いられる。

お金がある程度あることで僕は自由を得て、そこから自分的に自由に自分を創造や取捨選択出来ていたんだ。

お金が今の自分の人格の形成のための「ツール」となったんだ。

・・・・・。

・・・・・。

そういうことを考えると、まず何よりも金という発想はある意味普通の、常識的な発想だよな。

特に、頼れる人がいない人にとっては、とか。

お金がないと、ある意味社会から孤立してしまう。

お金がないと、自己形成すら出来ない、というかまず、自己維持のための食事すら摂れない。

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なるほど。

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また、お金が少なくなると、「視野」が狭くなるんだよね。

例えばお金があると、そのお金を何々に使おうといういわば「無限の発想」が出来、それはあくまで発想であり想いだから実際のお金を使わずに出来るのだけれど、もしかしてそれこそがお金を得ることで一番の「幸福」であり「権利」であり「自由」なのかもしれない。

これだけのお金があれば将来的にこれこれにこれだけ使えるといった、いわば「未来の翼」を得られるわけだ。

「未来」

僕たちは未来に対して何か「希望」とか「夢」を持っていないと、ある意味生きられない生き物だから。

お金とはつまり、未来に対する希望的想像力を与えてくれるんだ。

それこそが、おそらくお金の一番の凄い所なのだろう。

未来に対する「自由」

それがあったからこそ、ここ数年の僕の「自由的想い」が成り立っていたのだろう。

ふむ・・・。

お金って・・・。

お金って・・・。

やべーな・・・。

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