「虚構とは何か。~虚構を巡る冒険~」
・・・。
2月19日金曜日。時刻は午後9時。
虚構。
おそらく、僕の現地点、また今後死ぬまで、おそらくこの「テーマ」こそが、僕がずっとおそらく追い求めていくものではないかと思っている。
まただから、僕がまだ部活を続けられるのも、この部活の本質にこのテーマがあるからだと思う。
虚構。
他の言葉で近いものとして、虚性・無為・無し・虚ろ・空っぽ・また変かもしれないが、「有」というのもこれに入る。
そもそもの話、「有」と「無」という分別。
それは以前述べたような「死=生」に近いような、「有=無」ではないかと僕は思っている。
「有=無」。
この世界に、もしくは僕たちにとって、何があって、何がないのか。
それはとても曖昧であり、ともすれば僕たちは何も分かっていないからこそ、全くの「無」であるとも言えるしまた、全くの「有」であるとも言えるのではないか。(何言ってんだこいつ。←ww)
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ああ、どこからこの話をしようか。
そもそもの話。
この文章を読者の方が読んだり、また僕としてはこの文章をこうして書いたり、そういう読んだり書いたり出来るのはそれぞれの己自身だけであり、またその脳や心である。
そこがすごく、人の限界であり、人の虚無性であると僕は思う。
つまり、一人一人、自分たちの心や脳でしか、その『フィルター』を通してでしか、僕たちは僕たちでいられないし、またこの世界を認識出来ないのだ。
それがとても、僕たちが「脆弱」だと思うしまた、「終わっているな」と思うし、また「始まっているな」とも思う。
その辺り、すごく人って、「レベルが低いな」と思う。
「複合的に」生きられないというか、結局ひとりひとり、「一つの判断」しか生きられない、つまり、「2つの世界」を生きられない、つまり、「並行世界」に生きられない。(当たり前の話だが)
ひとりひとり、それぞれがそれぞれの「決まり(善悪の判断とか、生きるとはこういうことだという信念とか)」に基づいて、一人の人間しか演じられない。
だから、人は「虚構的」にならざるを得ないと思っている。
つまり、何かを信じたとしても、それを100%、僕たちは信じることは出来ないのだ。(は?←ww)
100%というのは、おそらく人の世界の中では存在しないと僕は思う。
それは、「永遠」や「絶対」が人の世界の中で存在しないと同じように。
僕たちというのは、あったとしても、99,99999・・・・・・%の世界しか生きられない。
つまり、僕たちというのは死ぬまで、「分からない(確証がない)」生き物だと思う。
だから、絶えずそこに「裏」があるし、また「否」がある。
虚構性。
それはつまり、「嘘的」ということである。
100%真実なモノなんて、人の世界にはない。
この世界にあるものはすべて、「誰かが造り上げた世界」であり、それを誰かが伝聞した世界であることが多い。
この世界はつまり、「虚構なる世界」なのである。
だから、この世界とは、「何も無い。」もしくは、「すべてが有る」。
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だから、基本的に生きるというのは「虚しい」であることが正解だと僕は思っているし、虚しさこそ頂点であり原点であり、というか虚しさしかないのである。
その虚しさを埋めるため、色々なものを、悪い言い方をすれば「騙し」として、僕たちは選択していく。(あくまで悪く言えばの話。それは全然悪くないのだけれど、生きるためには。)
虚しさを埋めるために行うことが生きるである。
生きる行為そのすべては、虚しさへ帰結する。
だから、虚しさ万歳。←ww
虚しさこそが正義であると言ってもいい。←ww
虚しさにもっと、誇りを持っていいというか、虚しさをもっと「探求」すべしだと僕は思う。(ここに部活とかが絡んでくるのだが。)
虚しいからと言って、虚しく、つまり不幸に振舞うのが虚しさではないと僕は思う。
すべて虚構に還るからこそ、「探せ」るね、っていうこと。
ある意味、今死んでも数年後死んでも数10年後死んでも同じだよねって話。(だから別に、虚しくなって今死ぬ選択も僕は別に否定出来ないし、すべて同等という意味)
人は等しく、虚しい。
人は虚構的生物だから。
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虚構的とは何か。
この話題は尽きない。←ww
虚構的だからこそ、僕たちは何をすべきなのか。
(笑)。
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そこの唯一の答えというか、まあ、その根本的な答えは虚構は虚構だから永遠に分からないのだけれど、虚構の本質に近づけるとしたら、それは「美」であると僕は思う。
美しいもの。
惹かれるもの。
死にたいけど、これがあるから、これを見たいから、これに会いたいから、まだ死にたくない。
虚構に対する「知見」というか、新たな観点を与えてくれるもの、もしくは虚構をより見つめることが出来るもの、それが「美」であると僕は思う。
(その美について、僕が思う美ランキングはすでに以前幾度か述べている)
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僕が最近嫌っているのは、断定というか、これこれはこういう世界だっ、と言って、その世界に酔って、その世界がまるで「正」だとして、他人に押し付けることだと思う。
そんなものないし、それは一人一人違うし、それは永遠には続かない。
すべてが一瞬で現れて、すべてが一瞬で消えるこの世界。
何も無い世界で僕たちはいつまでも迷い続ける。(何かかっけえ・・。←ww)
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部活の話で言えば、この部活では、その虚構性に触れられるというか、空っぽなモノに対して真剣に対峙して、それは全く分からなく、分かりっこないのだけれど、それでも挑むというか、その空っぽなものに対して知ろうとする・分かろうとする・理解しようとする、そんな僕たちの様子は、他人からしてみれば馬鹿っぽく見えるかもしれないけれど、それはとても、「美しいよね」って僕は思う。
虚構性への挑戦というか、それが唯一、生きることの生であり死だと、僕は思う。
虚構性を探る。
無いものを見つけようとする。
見えないものを見ようとする。(バンプ。←ww)
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それが僕がやりたいことだし、また、この部活の根幹にあるものだと思う。
眠い。
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