「主に虚無性についての話題。すべてのものは、すべての答えは無であり、その無を表現するために有なるものを出す。例えば言葉とか。後は最近ジョブスの漫画読んでいるという話」
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3月4日木曜日。時刻は午後10時。
普通ですね、今週も。
ただ、どちらかというと先週よりは気分が晴れているというか、先週部活を諦めた分、いい意味で部活と良い距離をとり、また僕の日常5点セットに納得して日々を送れている感じです。
今の自分の人生としては60~70点ぐらいを上げたくて、望むのならば、この「部活」を微々たるながらも続けて、何かしらの「変化」を生み出せば嬉しいなと思っている。
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話をタイトルに戻して。
これ、いつ気づいたか忘れたけど、そうだよなあと最近実感していて。
気づいたのは、基本すべての答えは「無」だということだ。
つまり何も無いであったり、何も意味ないであったり、つまり虚無的。
その「何」とは「すべて」。
生きるであったり・・・。
すべてのものに対して、基本「無」であるという思考を持つことが、考えることを楽にさせてくれるというか。
つまり、無であるものに対して僕たちは何かしらの仮の答えとして有なるものを提示するけれど、それは絶対的な答えではなく、99.9999999・・・%正解に近い答えである。
絶対的な答えとは「無」であり、「無」で完結している。
しかし無だとどうしようもないから、しょうがなくその無に近い有であろうとする。
分からなくなったらつまり、「無」に帰ればいいということだ。
何も無い。
思考さえもしない。
そういう状態に戻ることが、一番「真理」や「正解」に近いのではと最近思う。
有である以上、無からは遠ざかっており、有を増やせば増やすほど、真理、つまり無ではなくなっていく。
そんな感じまんこ。
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今週車の中で読んでいるのは僕ヤバとヤマザキマリのジョブスの伝記を漫画化したもの。
どちらも面白い。
ジョブスで思うのは、ジョブスが生まれたのはアメリカだからではなく、ジョブスがアメリカの「西海岸」に生まれたからだというのがよく分かる。
というか、もう、「国別」に人を語ってもあまり意味がないなと思う。
「国」ってもうある意味、破綻しているというか、「国」で人を見ることはもう出来る時代ではないなと思う。
また、どちらかというと0から1を作ったのはジョブスではなくもう一人のスティーブだったということも分かった。
また、0から1だけでもあまり意味がないことも感じた。
もう一人のスティーブがいないと、今までのスティーブジョブスも生まれないと思うと、ほんと人って面白いなと思った。
また、ジョブスの人柄も面白いし。
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関係ないけど、もし将来的にもう少し部活が発展するのであれば、ツイッター上の「イメージ」はもう少し「部活ちっく」にしようかなと今日思った。
今日車の中で思ったのだけれど、やっぱり僕はこの「部活」というものが、好きなのかもしれない。
その部活とは今僕がやっている部活ではなく、一般的な「部活(≒サークル)」というもの。
結局僕が求めているのは「自由」と自分が自分らしくいられる「コミュニティー」であり、学生時代の部活、僕はそれほど楽しい部活を出来なかったけれど、例えば涼宮ハルヒの憂鬱の「SOS団」であったり、ああいった、何か「理想とする部活のありよう」を、僕はずっと求めていて、それを創ろうとしているのかもしれない。
「部活」とは何か。
それを求めるのが今の僕がやっている部活であり、また僕の本質的欲求なのかもしれない。
ツイッター上の「イメージ」をより部活らしく。
あの頃の雰囲気をツイッター上の「イメージ」に増やす。
あの頃の、理想の部活のありよう。
それは「自由」であり、「無知」であり、しかしどこか、「真理」がそこに有るような気がする・・・・。
「有る」では、「無い」のだけれど・・・。←ww
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そんな感じで、今日も寝る。
ちょっともう、時間が遅い。
午後10時過ぎ。
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