3月11日「昨日のエヴァのお話の後に、僕たちはどう生きるべきなのかについて。」

「僕たちはどう生きるべきなのか」

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3月11日木曜日。時刻は午前11時(今日休み!)

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昨日、結構エヴァに関連してだいぶ堅苦しいことを述べたのだけれど・・・・。

ああいう堅苦しいことを述べると、すごく生きるのが難しくなるというか、じゃあそうその「リアル」と向き合っていけばいいという話になるのだけれど。

その答えとして、僕としては、『別に』だと思う。

その別にとは、そこまで生きなくてもいい、つまり、「何もしなくていい」と。(まあ、最低限社会に接した方がいいと思うけど)

以前から述べている通り僕は「生=死」と考えている。

またこれらの考えは、僕のここ5,6年の社会経験から基づいて述べられている。

たぶん2年ぐらい前のこのブログでも述べた通り、僕はもうそれほど、「リアル」を重視しなくなった。(そこら辺ちゃんと説明しないと語弊を招くけれど)

一般的な「リアルでの活躍」(例えばちゃんと働くとか)って別に、ある意味「何もないな」と僕は思った。

リアルはどこまで行ってもリアルであり、そこに自分が幼い頃感じていた、何か「大切なもの」はないなと。

それじゃあどこにあるのかというと、それはまあ、「幸福の蒼い鳥」の話のようで、既に自分の中にあると。

つまり、その、幼い時に感じていた「大切なもの」こそ、大切なものであったという・・・。(ちょい説明不足)

それはもう、取り戻せないという話じゃない。

それは常に、僕たちの中、まあ、僕たちの「心の中」に今までも、そしてこれからもずっとあるものなんだと。

だから、何もしないでも僕たちの心はあるし、それを「納得」させることこそ、リアルとかを頑張るよりも、重要では?と、今までの社会経験から僕は感じた。

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だから、まずは「休むこと」が自分の心にとっても重要なのが分かってくる。

そして、「整理・片付け」も自分の心にとって重要なことが分かってくる。

また、これがどの程度かは分からないが、「社会に属する・貢献する(≒働く)」というのもある程度必要だと分かってくる。

大事なのは、気を遣うべきは自身の「心」。

それをどうしたいか、どうすれば自分の心は「落ち着いている」のか、そういう「状況」を作ることがまずは大切であって、働くとかはそれのための「装置」とかに過ぎない。

「自分を見つめる」「自分で自分を納得できる状況」を如何に作っていくか。

何か、DOすることよりもだから、そういう自分の心と付き合っていけることが、まずは重要であると。

落ち着ける状況。

何もしない状況で、自分の心を見つめられる状況。

まず、自分にとって必要なのはそこである。

そうして落ち着いて、休めて、少し身体が元気になって、その後、何ややりたいことがあったら。

それをやればいいし、それがやれる時間を作れる状況に、出来るだけありたいと。(そういう状況を作るのが結構難しいのだけれど。その理由として「お金不足」とかがあげられる。)

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