3月18日「日々徒然。」

う~~ん・・・。

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3月18日木曜日。時刻は午後7時。

すごくアバウトなことを言うと、「まあまあ調子がいい」(?)。

ただまあ、まだ分からない段階。(・・・。)

う~~ん・・・。

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まず、現在の自分の精神的なことを述べると、「まあまあいい」。

それは何故かっていうと、たぶん今3月18日じゃん。

それで、今日だと昼間とかすごく暖かくなってきたんだよね。

会社ももう暖房が要らなくなる頃で、冷房つけてもいいぐらい。

なのでそういう意味で、僕は暖かい方が好きなので、夏が好きなので、そういう意味ではいいし、また精神だけでなく「身体的」にもまあまあ今は良いんだよね。

つまり現時点での自分の精神的・身体的自分が、まあまあ今までと比べていいということ。

その点については、すごくいいと思う。

「不安」に思っているのは、だから個人的ではなく、日本の社会全体について。

それについては、今日のブログの最初の更新で少し述べたけれど・・・。

また、以前からこのブログで述べている、「日本衰退」と絡むのだけれど。

その辺り、確実に日本社会で言うと「暗い」と思うから、それが僕のかなり少ない知識から基づくもので全然正確ではないのだけれど、でもどうなのだろう・・・。

当たり前のことを言うようだけど、これからの10年でだいぶ日本も変わりそう・・・。

僕の場合、どちらかというと日本社会全体が好景気で、みんなが「浮かれていた方がやりやすい」というか、まあ当たり前の話だけれど、みんなが「ハッピーっぽい」方が、いいじゃん、当たり前の話だけれど。

その点、そういうハッピーっぽさが、これからどんどん減りそうな予感がまあまあはしている。

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話変わって、小粒な最近思ったこと。

「重版出来」っていう漫画を最近読んでいるのだけれど、まあまあいい漫画なのだけれど、単行本表紙がだいぶ弱いというか、アピール不足に感じて、もったいないなあと思う。

実際以前重版出来の評判は聞いて読んでみようと思っていたけど、単行本表紙の絵が安っぽくて、読まずじまいだった。

まだ1巻だけどそこそこいいのに、単行本表紙がそれを活かしてないなと思う。

しかも扱っている題材が漫画編集で、いい漫画なのに売れないとか漫画内でやっていて、それを実践してどうすると。

単行本表紙、あれ、あれでいいのだろうか。

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阪神の新人、佐藤がすごい」

いいね。

他球団ながら、すごく気になる、というか羨ましい。←ww

凄い。

久しぶりに、凄い選手見た。

というか、新人とか関係なく、今の日本人野手でベスト3に入るぐらいいい選手ではないだろうか。

少なくともセリーグでは、あんな選手いない。

プロ野球、その点でも楽しみ。

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「無的な有とは何か」

これ結構重要なことで、一旦ここまでで切って改めて書いてもいいのだけれど、ここに書いちゃおう。

2日前ぐらいに書いた、部活に関する話題で触れた「無的な有」。

あれ、結構今も自分の中で気になっている。←ww

なるほどね。

無的な有、か・・・。

「無」を目指す。

「無」に向かって、「無」を作る、を部活でやる。

その「無的な有とは何か」を、もう少し具体的に分かりやすく語ろうと思う。(たぶん、それほど分かりやすくはない。←ww)

「無的な有」を語る上で欠かせないのは、僕が以前から、また最近もよく述べている「半径2~3mの世界」だと思っている。

「部活」では、扱うのは自分の世界を描くこと、つまり「半径2~3mの世界を描くこと」。

そこでは自分を見つめることが必要になってくるし、また「最初の他者(≒他者代表者)」を見つめることも必要になってくる。

それとは何か。

つまり、「半径2~3mnの世界とは何か」を考えると、それは「無的な有」だ、と・・・。←(は?ww)

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以前から述べている通り、人はみな、「空っぽ(≒空瓶)」であると僕は述べた。

みんな、空っぽだよと、それはどんな偉人であれ有名人であれ。

「無い」んだよね、僕たちは。

それは、普通に生きて、普通に人と接しているとあまり気づかない。

ただ一度人から距離を置いて、自分を見つめ直すことでそれに気づく。

自分とは、また他者とは、本質的に「空っぽ」=「無」であると。

だから、ある意味この部活は、「無を描け」ということになる。

だから、結構難しい。

自分は自分があると思っていて、しかしよく振り返ってみたら、あまり無いのだから。

無い、つまり空っぽである自分にまず気づくのが、この部活であると思っている。

無であることは別に、悪いことじゃない、というかみんな無だから。

無だから、他者を求める。

人と触れ、人から愛され、人に育まれ、社会に生かされている自分を再発見出来るから。

無があることで、有へ向かうことが出来る。(そしてまた、無に還るのだけれど。)

この部活とは「無」である。

なので、ある意味僕は「“無”宗教」なのかもしれない。←ww

仏ではなく、キリストではなく、「無」を信奉する犬飼ユウ・・・・。

「無とは何か」が、この部活だから、だから、僕はこの部活に興味があるのかもしれない。(無とは、つまり人の本質である、感じ・・・。)

また「無」こそ、「美しさ1位」ではないか、と・・・。

美しさランキング隠れ1位が「絵画(≒イメージ)」と以前述べたが、「絵画(≒イメージ≒無)」なのかもしれない。

「無」が美しさランキング隠れ1位。

そんなお話でした。

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「何か美味しいもの食べたいゲージが溜まっている」

書こうと思ったけど、疲れたからまた今度書く。

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