2つの話題について書く。
一つは「パーソナルに生きるべきか、社会的に、大きく生きるべきか」
もう一つは、「今を生きるべきか、長期的に、未来のために生きるべきか」
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どっちも結構重く、重要なトピック。
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3月21日日曜日。時刻は午後6時。
この二つのトピックは重い。
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まず一つ目、「パーソナルに生きるべきか、社会的に、大きく生きるべきか」
どちらかというと女性の方がパーソナルに生きる方向で、男性の方が社会的に生きるのが好きで、またそう生きざるを得ないと思う。(どちらもメリットデメリットある。)
パーソナルに生きるとは。
それは、以前からこのブログ内で述べていた「2~3mの世界を生きる」というのに近い。
だから、パーソナルを大切にして生きるのが、まずは一番大事だと僕は思う。
自分の目に見える日常を愛でる。
それが、パーソナルに生きるということだ。
こういう生き方は女性の方が好きで、また男性はそういう生き方をあまり好きではない。
男性は、どちらかというと大きく生きたい。
その大きくとは、つまり近いものをみず、遠くばかり見るということだ。
例えば経済のことばかり考えたり語ったり、政治のことばかり考えたり語ったり、また仕事のことばかり考えたり語ったり。
そういう、ある意味「家を離れた生き方」が好き、もしくは社会的にそう義務付けられているのが男性と言えるかもしれない。(まあ、しかし、最近は女性の社会進出によって、女性もまたそういう義務を背負っているのだが。)
はっきり言ってしまえば、社会的に大きく生きるのは、意味がない場合が多い。
意味はあるのだけれど・・・・。
う~ん、説明しづらい。
つまり、社会的に生きる場合、人の本質的な部分を忘れがちだ。
それは、以前「半径2~3mの話」をした時に例を出した「スティーブジョブス」とか「ビルゲイツ」とかと同じになってくる。
どれだけ社会的に成功していようが、またどれだけ社会や経済のことに詳しかろうが(まあ、それで詳しくなることでより快適に生活出来たりすることは事実なのだけれど。)、結局人は半径2~3mの世界に帰っていく。
社会的に自分がなければ、男性の場合自分の存在意義が見えずらく、また社会的存在の方が自分に自信や自分という存在を与えてくれるのだけれど、それはすごく、「虚構性」が高い。
誰しもが一人、もしくは半径2~3mの世界しか生きられない。
なので、まずは半径2~3mの世界、つまりパーソナルな世界、パーソナルな自分を愛せるようになった方がいいと思う。
とはいえ、社会的な、大きく生きたいという欲求はおそらく、男性であるならば消えないだろう。
そこら辺は、上手く調整して、生きないとなあ・・・。(それが難しいのだが)
それに比べてパーソナルな方は、割と何とかなるというか、それはある意味「お金をほぼ必要としない」ものだから。
お金を必要とせず、自分のパーソナルを自分らしくしていくのは、社会的に目立つより、大切だと僕は思う。
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次に、「今を生きるべきか、将来のために生きるべきかという問い」
20代の頃は「今を生きる」ことの方が重要かなと思っていたのだけれど、そもそも「今を生きる」って何って、その辺り20代の時はあまり深く考えていなかった。
それで、改めて最近思うのは、今を生きるって結構難しく、いや、それ「無理じゃね?」とすら思っている。
今って、すごく「曖昧な時間」だから。
だって、僕たちって、すぐコロコロ変わるじゃん。(岡崎京子作品みたいに。)
若い時って、だから、つまり、究極的に自分が「空っぽ」だから、言うことも結構コロコロ変わる。
つまり、無いんだよな、自分が。
それで、今を生きるってなると、日々違う自分を生きる、常に何かをつまみ食いしながら生きる感じで、一定ではない。
それはある意味、「生存戦略」かもしれないけれど。
こうして30を越えて思うのは、それだと何も得れないなって。(まあ、20代の頃の得方と今とは違うのだけれど。若い時はそうしてカメレオンみたいに周りに応じて色々変色することで、色々な自分を体験することが大切なのかもしれない。)
日々何か同じことをやらないと、何も積み重なっていけない。
それはある意味、つまらないと思う。
どちらかというと得ることは少なくて、常に無機質な、空っぽな自分と向き合うという、結構意味のないことを続けなければいけないから。
しかし、それではないか、と。
だから、僕は最近、あまり今を生きてない気がする。
今の日々の小さな積み重ねが、とても遠くの将来に、何か「変化」が起きればと、そういう気持ちで、割とつまらない日々を繰り返している。
つまらないと言っても、まあまあ楽しく?やっているけれど。←ww
でもまあ、20代前後の頃のインプットよりは、新鮮はあまりないけれど。
それでも、今はこの積み重ねが、僕を「安心」させてくれる。
そういう意味で、僕は今を生きづ、何か将来のどこかを向いて生きることで、「何か」を得ようとしているのかもしれない。
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