3月30日「疲れた。」

疲れた。

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3月30日火曜日。時刻は午前9時。

たまたま今週は火曜休みになったけど、それがまあ、ちょうどよかったかも。

土曜、日曜から続いていた久しぶりの「重い頭痛」が月曜日も続いていて、かなりしんどく、今日も起きてからさっきの時間までしんどくて、どうなることかと思ったけど、今は一応「最悪」は避けられている感じで、はあ・・・・(ため息)って感じ。

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以前にも書いたかもしれないけれど、自分のこういう「病気」というのは、自分にとってプラスであるのかマイナスであるのかをよく考えていて、普通に考えれば圧倒的にマイナスなのだけれど、でも、僕はプラスも知っている。

こういうのは、そういうどうしようもない「ハンデ」を背負ったものにしか分からない気持ちというか、経験からくる気持ちだろう。

まあ、弱者と言っても、僕の場合「親」にある程度守られての弱者なので、本当の弱者とは言い難いが。(しかしこんな重い病気を抱えていて、一般的な「障がい者」に当たらないのは「寂しい」なと思う。その辺り、「頭痛男の生活」でも述べたが。)

にしても・・・。

こうしてある程度ひどい頭痛が収まって、こうして自分を表現出来、こうして文字を打てるのは本当に「幸せ」だと改めて思う。(マジでこれは、ちょっとウルウルくるぐらい。)

ああ、そうなんだ・・・。

結局やはり、僕にとって一番今したいこと・やりたいこと・日常的にやりたいことは、これだったんだ、というのを改めて感じていて、嬉しいやら悲しいやら。

「自分を表現する」。

それが出来る、またこのブログという、自分を表現出来る場所があることの「幸せ」を、今一度、噛みしめている。

・・・・・。

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僕は、生きているんだなあ・・・。

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ふう・・・・。

その辺りは、やはり、「幸せ」だと思うし、それを幸せと思えるのは、この「病気」を持っているからだと思う。

当たり前を当たり前ではないことに気づかされてくれるこの病気は、だから、自分にとってマイナスでありプラスであると。

どう生きるかとはつまり、Aという同じものに対して自分がどうそれを捉えるか・見るかの違いによることが大きい。

つまり、Aは変わらずAなのに、それを受け取る人によって、Aは変わりゆく。

世界を世界と認識するのはあくまで個々の人で、やはり「自分」を如何に知れるか・掘れるか・再発見出来るかが、生きるor死ぬことなんだと、改めて思った。

はあ・・・、疲れた。

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でもまあ、そう考えるとやはり、「自分が休める場所」と「お金」が、まずは必要であり大切であると改めて思う。

それがあれば、いつでも、やり直せる。(健康な身体があればの話。)

はあ・・・。

疲れた。

・・・・。

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