「色々書くこと溜まっている」
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3月30日火曜日。時刻は午前10時。
まず、先週述べたプロフェッショナルの庵野特集の続きについて。
というか、後半も見たけど、結局前半が僕の中で印象に残っているのだけれど。
その中でもずっと僕の心に残っているのは、庵野の「アングル」へのこだわり。
これが先週述べた、「気持ち悪い」にも重なることなんだけど。
どういうことかというと、庵野もそこまでアングルを追求していたのかということ。
何か個人的な妄想では、そういうの宮崎さんや庵野とか、彼らというのはそういうの結構簡単に吐き出せると思っていた。(宮崎さんはどうか知らんけど)
要は自分の吐き出したものがそのまま他人に評価されているのかと思っていたら、それは庵野も結構疑っていて、要はそれだと「狭い」と。
自分だけの視点・アングルだけでは、観客は満足しなくて、それ(アングル)を徹底的に探っている姿が、僕にはその絶えもない「努力」が「気持ち悪く」感じた。(庵野でさえ、途方もない数のアングルを探っていたということ。これは先週述べたけど。アングルは無限だから。)
思い返してみれば、そういえばテレビ版や旧エヴァって、すごくそういう、「シーン」が印象的だったなと、今改めて思った。
「鮮やか」なんだよね、エヴァって。
印象的な、今まで見たこと無い「見方・見せ方」をとても自然にしていて、それがエヴァで、それを普通に、無意識に、川の流れのように受け取っていたけど、それは庵野が仕掛けたアングル的「仕掛け」だったんだなと、改めて思った。
そういう風に、見せられていたんだ、僕たちは。
それがある意味、エヴァだったんだ・・・。
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何かエヴァって、そのストーリーやキャラの心理描写が凄いのかと思っていたけど、一番すごいのはその見せ方・アングルの使い方なんだって、よくよく気づけばそれが一番なんて分かりやすいけれど、僕は今まで気づかなかった。
それを、今回のドキュメンタリーで知った。
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また思うのは、僕はまだシン・エヴァンゲリオンシリーズ4つをまだ見ていないのだけれど、今回の場合、それが「ハッピーエンド」で終わるらしい。(ネタバレをがっつりは見てないけど、ちょびちょびとネタバレは漏れているので、その雰囲気で知っている。)
で、それに対しての意見として、それでよかったが8割ぐらいで、違うという意見が2割ぐらい。
それで僕が思うのは、結局エヴァというのは、「air/まごころを君に」でもう、終わってるんだなって。
やはり旧版が「あの頃のエヴァ」であり、あの頃のエヴァはもう、永遠になんだって思った。
だって、エヴァって、ハッピーエンドじゃ済まないでしょ。←ww
アスカの首を締めながら、真っ赤な海の中で、「甘き死よ来たれ」が流れるのが、エヴァでしょって。
ネタバレを避けながらネタバレしているエヴァの今回の映画の感想を見ながらその感想に同意したのは、「庵野はもう、エヴァに飽きている」というとあるブログ感想のセリフ。
確かに、そうだなと思った。
というか、旧が終わってから、時間かけすぎでしょ。
庵野もそうだし、あの頃(と言っても、僕はエヴァ直撃世代ではないので、僕のあの頃とは違うけれど)にはもうみんな、戻ることは出来ない。
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なので僕が思うのは、これはちょっとしたキリスト教の「旧約聖書」と「新約聖書」みたいに、エヴァは旧と新でもう、勝手に信者が分かれると思う。(旧約聖書と新約聖書の違いは読んでないから知らんけれど。)
だって、全然違う答えだもの、旧と新って。
また僕もさっき述べたけれど、エヴァとはやはり旧で、ある意味新は旧の「同人誌」というか・・・・。
自分にとって大切なものはやはり、旧に詰まっているよね、っていう話。
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ある意味奇跡だよなと思った、旧は。
それで、そういうもんを作っちゃって、もうそれ以上は出来なくて、それ長い年月をかけて、
「理解ある彼女さん(庵野の妻)」に助けられて、そういう旧に対しての「お墓参り」というか、「さよなら」をいう為の作品が、新だと感じている。
エヴァはやはり旧。
それを何とか、それは出来ないのだけれど、寄り添おうとしたのが、今回の新であると僕は感じている。(見てないのによくここまで書けるな。←ww)
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そんな感じで、話逸れたけど、庵野の「アングル」へのこだわりが、僕にとってはちょっとした「呪い」になって、これからの、僕を、少し苦しめそうだ。
だってアングルって、先週も述べたけれど、ある意味「無限」だから。
1秒以下のことを、無数に考えないといけない。
それがいかに大変か、気持ち悪い行為・行動か、
疲れるなあと思う。
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