4月6日「眠い。」

寝たい。

なので、これ書いて風呂入って部活ちょっとやってから早く寝る。

早く寝るのが一番。

それな。

うん。

・・・。

そこ広げるって感じになるけど、今の僕ってこの、「出来るだけ早く寝る」や「深夜起きていない」ことが、すごく今の僕に繋がっている気がする。

人は「時間と空間」。

夜っていうのは、「解く」のにすごく難易度高くて、だから一般ピーポーはあんまり夜に生きない方がいい。

夜に生きるのは、稀なアーティストや小説家に任せておけばいい。

夜は、すごく、「深淵」だから。

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4月6日火曜日。時刻は午後8時。

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昨日に引き続き、部活の説明文の変更についての話。

それで、今日思ったのは、昨日はこの説明文なら僕でも書けるといったけど、それでもまだ難しいなと思った。

しかしその難しい所こそ、この部活の本質的な部分だなと思った。

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少し詳しく述べていくと、今回の説明変更によって、プラモデルの説明書みたいした。

なので、作品を作る順序を一から説明して、「工程的」に説明している。

その工程は今のところ7工程ぐらいに分かれていて、工程1→工程2→工程3・・・、と作ってもらう。

その工程のうち、割かし前半の方はほんと誰でも出来るし僕でも出来ると思う。

そこは、まあまあ簡単。

しかし、徐々に難しくなっていく。

まず工程5辺りで、ある程度自分自身と見つめ合わないといけない時間がある。

これが一つ目の難しさ。

しかし、これはまあ、ある程度出来ると言えば出来ると思う。

問題はその次辺りの、工程7、つまりほぼラスト工程だと思う。

このほぼラスト工程で何をやるかというと、それはある程度、「他者への介入」が入ってくる。

今までの工程だとある程度自分だけで、自分ひとりで満足したり出来ると思うが、最後は少し違う。

他人を知り、他人に合わせた自分にならなければいけない。

ある意味、すごく、「社会的な」工程だと思った。

話少し逸れた話するけど、僕は「コミュニケーション」とはそもそも、「成立しない」と思っている。

コミュニケーションなど、成立しない。

それはまあ、分かりやすいのがインターネットの世界だろうと。

基本僕たちは、僕たちでありたい。

変わりたくない。

誰かに指図されたり意見されたりして、自分を変えたくない。

「否定」、されたくない。

しかし、社会とは、ある意味、そういうものだろう。

そしてその社会的とは、学生時代は気づけないけど、僕たちが生きる上で切り離せないものなのだ。

つまり、否定こそ社会の中を生きるものであり、否定とはつまり、「自己喪失」であったりする。

つまり、社会的とは、自分が自分でなくなってしまう感じなのだ。

その辺りの、「矛盾」。

自分が、自分でなくなっていく、ということへの、「答え」をどうするか。

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ほぼラスト工程もそうであるように、他者が入ってくるとある意味僕たちは「気持ち悪く」なる。

自分をある程度削って、他人に合わせて自分の人格であったりを曲げないといけないから。

しかし、そこに僕は、「本質」がある気がする。

やはり、自分ひとりでは、「欠けている」から。

自分と、他者と、自分・他者(自分と他者が混じり合う感じ=社会的)。

それらが、このほぼラスト工程で本質的に混じる。

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ラスト工程以外であるなら、まあまあ容易で、そこそこ形あるものになると思う。

しかし、この部活の本質的なところは、このほぼラスト工程にある。

なので、ここをどうするか。

ここをより、本質に迫り、またそれを容易に解説出来るか。

その辺りが、今後の課題だと思う。

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眠い。

ほんと、頭痛の調子は悪い。

それがまあ、今の僕らしさを作っているのだけれど。

頭痛が痛いと、すごく死に近づく。

だからおそらく僕は、この年齢にして、すごく老けた価値観をすでに持っていると思う。

ある意味すごく死期が近いで生きているので、同年齢より、後悔しないよう生きたいという想いが強いと思う。

その辺り、幸せ不幸せって、難しいね。

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