「自分とは何か。自分物語とは何か」
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4月6日火曜日。時刻は午後8時。
何か、今、雨降っています。
今の僕の精神はだいぶメランコリーになっているというか、漫画で例えると昔のヤンマガみたいな、少年と大人を彷徨っている感じなっている。(古谷とか、きらたかしとか、)
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これまた、部活についての話題と被るけど。
結局、僕が今何のために生きているかというと、「人を知りたい」から。
その人を知る方法として、僕は「リアルの中にはない」と思った。
いや、それは半分正しくて、半分間違っているのだけれど。
リアルの中にもないし、また幻想(インターネット的、エンタメ的、物語的)の中にもない。
どちらかというと、そのどちらにも属したものこそ、「人がいる」と僕は思った。
人を知りたい。
人が人を語る場面に、僕は触れていたい。
だからこそ、例えばテレビで言うと「ドキュメンタリー番組」が好きだったりする。
ドキュメンタリー番組はリアルであって、リアルでない。
ある意味リアルを「加工」もしくは、作り手が描きたいように編集したものだ。
つまりその過程、ドキュメンタリー番組を作り過程に、リアルとアンリアルの狭間があったりする。
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「作品」しか、残らないし、作品しか、人に触れられないと思う。
作品とはつまり、想いを固定化したものだ。
想いとは、本来ないものである。
想いとは、そこにあったと思ったら、そしてすぐ、どこかに行ってしまう。
だから、想いの跡を綺麗に残せるのは、作品しか、なかったりする。
それ以外はある意味、すべて消えていく。(ある意味っていう言葉、使いすぎじゃね。←ww)
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作品、物語、リアルとアンリアルの狭間。
その辺りに、僕が触れていたい、「本質」がある気がする。
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