5月2日「連休中に自分の本質的本質を探る。」

「順調。ただ・・・。」

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5月2日日曜日。時刻は午前11時。

朝起きて、順調に片付け・整理をしていた。

それで、かなりめどがついてきて、完璧とまでとはいかないけれど(というか、整理片付けで完璧を求めてはいけなくて、6割ぐらいでいい。それを今後も継続するのが大事)、かなり整理して未来への道(笑)が舗装されてきた。

それで、感じるのは、これは長期休暇の時にも述べているのだけど、こうして連休をもらって自分の時間が長く与えられて、自分整理出来るのはとても幸福だけれども、やはり僕の今の「本質的な部分の成長及び継続」は、働くことで維持されるなと感じる。

(今の会社で働くことのデメリット、主にほぼ平日は仕事終わりは頭が使えないなど、もあるけど)

自分にとっての、本質的な部分。

それは、自分ひとりでは手に入らないor維持出来ないし、また、いくらお金があっても手に入らないor維持出来ない。

社会との結びつき、社会と付き合うことで感じる自分の本質への気づきが、働くことでしか、今の僕は手に入らないと思う。

「部活」に、関してもそうと言える。

今の部活が誕生したのも、まあ、これも以前述べたけれど、ある意味働くことへの「反抗」であったり「対抗」であったりする。

つまり、働かなくてニートの状態では今の部活は生まれなかった。(それ以外のも起因要因はたくさんあるけれど)

また、その部活の維持に関しても、働いているから部活に関しても「いい距離感」でいられる。

今の部活をやるにおいて、それほど「近距離」でいるのは、今の状態では意味がなく、また利益得られないと思っている。

まあまあ離れた距離感。

それが、今の部活にとって僕における「幸福」であると思っている。

連休をもらい、自分整理出来ているのは嬉しい。

しかし、そこに「自分の本質」がないことを、改めて感じた。

かと言って、連休ではない、平日4日働いている僕の日常の中にそれほど自分の「本質的本質」があるわけではない。(本質的本質(笑)。)

あくまで、今の日常の方がベターであって、ベストではない。

つまり・・・。

連休のような長期休み<<<<週4日働いている日常≒ベター<<<ベスト(具体的にはまだ分からん)

こんな感じ。

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・・・・・。

まあ、それでも、今の連休は精神的にはすごく休めて、楽だけど。

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