6月2日「自分の自己表現を振り返る」

「自分の自己表現を振り返る」

さっき書いた日記の続きの話です。

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6月2日水曜日。時刻は午後1時。

パソコンのフォルダ、というか実際、これらは「HDD外付けハードディスク」に保存してあるものなのだけれど。

それを今整理していて、その中の自分過去アウトプット表現フォルダを今見ているのだけれど。

その中で、形として最低限成立しているものの最古として、「N19」がある。

N19はこれは、自分で作ったサイトであり、その時htmlとか覚えたくて、それと同時に自分の基地であるサイトを持ちたくて、やっていた。(たぶん今はネットにはないと思う。Htmlの形で保存してある。)

なので僕だけではそのindex.htmlからそのサイトを見ることが出来るのだけれど、懐かしすぎて泣きそう。←ww

これが更新日時を見ると「2013年」なので、8年前、そう思うと、やはり20~23歳頃はそういう余裕すらなかったことが窺い知れる。

自分が25~26歳ごろ、たぶんバイトをし始めたあたりで、やっと僕は最低限、人として、歩み始めたことが出来たのだろう。

その頃が、僕の始まりと言ってもいいかもしれない。

実は、高校や中学の頃から「写真」を一部の季節だけは撮っていたりして、そういう軌跡は残っていたりする。

ただ、日記的に、文章的には残ってないから、分からない。(一応、紙媒体でちょっとしたそうした記録をつけていて、それは残ってはいるが。ネット的には、やっていない)

「N19」から始まって、その時すでにそのサイトのコンテンツ派生で「yとI」が生まれているのには驚いた。

そんな頃から、「yとI」はあったのか。

一応「N19」(ちなみにサイト名はN19ではなく、自分だけが分かるよう略して総称しているだけ)内にyとIはあるのだけれど、これは単独コンテンツで行けるのではと思い、はてなで「yとI」単独でブログが残っている。(「yとI」もまた、略して述べている)

「N19」をやって後、他に色々自己表現を残したものがあるが、どれもそれほど続いておらず、また形としてもあまり成立していない。

そして、次にまともな形として最低限成立しているのは「眠れない人の音楽解析」であり、これは2018年に始まっている。

おそらく2013年に何かしらアウトプットをしたいと思い、結局ダメだって、その後バイトを数年やった後、今の会社でちゃんと働き始めて忙しく、また働くことで一杯一杯になり、自己表現をする余裕がなかったのだろう。

そして2013年から5年後、今から2年半前、眠れない~を始めている。

大体、自分が「30歳」ぐらいの時。

「眠れない」を1年ぐらいやって、それで結果が出なくて、それで他人に読まれるアウトプットを諦めて始めたのがこのブログである日々徒然だ。

日々徒然を始めたのが2019年で、2年前。

日々徒然も、最初の方はこのブログで他人から読んで欲しい、という意識が強かった分、すごく自分を演出というか、ブログ発信で自分を知ってもらうために色々やっていたと思う。

しかしそれも結局誰にも見られず、他人のためにブログやってててもダメだと思い、このブログはあくまで自分整理のために活用して、それ以外に何かやろうかなあと思って始めたのが「部活」。

この部活を始めたのが去年。

その部活もはじめの方はかなりしょうもないというか、そもそも最初の方は自分が今できる唯一のアウトプット的にやっていたのだけれど、このアウトプット、何かいいなと気づいて、それは何かを、自分だけではなく他の人と共に作業して築いてきたのがこの1年。

だから、本当にこの部活だけが、この10年でまともに他人と向き合ったというか、ちゃんと他人の目を意識して作ってきたもの、と言えるのかもしれない。

10年かけて、やっとか・・・。

そもそも、こういうアウトプットというか自己表現って、まずは自分のリアル・自分の生活が成立していないと出来なくて、だってあくまで自己表現とかって結局「虚無」だから、「最悪の20代」(ちょっとワンピースの最悪の世代とかけてる。←ww)を経て、やっとたどり着いた自分なりの「真理」なのかもしれない。

この部活が、いいのか悪いのか、そのいいのか悪いの基準はやはり他人から評価されるかされないかは、まだ分からない。(今の所はほぼ評価されてない。)

しかし今は、これが綺麗では?と思って、やっている。

また、結局、ある意味僕は、自分は表に立つ側ではないと気づかされたのが、この10年だったのかもしれない。

つまりテレビ番組で例えると、僕は演者ではなく、裏方側、裏方側しか出来ないのでは、と、痛烈に感じられたこの10年だったのかもしれない。

それは単純に、自分のアウトプットが評価されなかったから。

自分のアウトプットが評価されなかったけれど、自分の表現したい何かは持っている。

だからそれを、共感してくれた方にしてもらう。

ある意味「寄生的に」、僕は表現している、したいと思っているのかもしれない。

自分の無力さ、自分の無力さを切にこれまで感じ、それでも自己表現の輪の中に加わっていたく、自分ではできないから、してもらう、もしくはその表現の場の仕組みを作る側。

今の僕の部活における立ち位置は、そうなのだろう。

以前から幾度も述べている通り、この部活は何のためにやっているかというと、自分がそこにいたいから、納得できるコミュニティーに入りたくて、そのコミュニティーが世の中や社会のどこにもないから、自分で作った、という感じだ。

なので僕は別に、このコミュニティーに何も求めていなく、唯一それは、そのコミュニティーがそのコミュニティーである、ということだ。

それがおそらく、これまでの自分、そしてこれからの自分が、一番求めていることだから。

だからある意味この部活は、利益を何も生まない「会社」を作った、と言ってもいいかもしれない。(部活の運営を会社的にやると、以前から述べている)

5年ぐらい前に働き始めて、また最近経済に関心を強く持ち始めて、「会社」の面白さや社会的意義を、すごく感じ始めている自分がいる。

それまでは、例えばアーティストとかにすごく尊敬とかを抱いていたけど、その価値観が少しずつ薄れ、確かにアーティストはすごいと言えばすごいけど、そのすごさは世の中や社会の中での一面に過ぎないよな、例えば大企業は、そこで雇っている多くの人の生活を支え、それはつまり彼らの幸せを支えているのだなという想いで、会社に対する尊敬が強まって、今の僕に至る。

まだまだ僕は何も知らない。(←は?←ww)

常に想いや思考は変化していて、今の僕の場合、その思考や想いを部活と共に生きることで、自分にとっての心の安定があるものだと、今は思っている。

ふう・・・。

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疲れた。

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