6月14日「久しぶりに泣いた。」

「久しぶりに泣いた。」

あ。

・・・。

ふう・・・。

・・・・。

6月14日月曜日。時刻は午後8時。

久しぶりに泣いた。

5~6年ぶりぐらいだろうと思う。(その5~6年前は、自分の頭痛の悲しさに泣いたと思う。頭痛以外で泣いた記憶は、中学生以来あまり記憶にない。)

泣いた理由は、さっき書いた悪いニュースに対して。

また、3~5か月ぐらい前に、僕は生きる理由について述べたと思う。

生きる理由は特にないけれど、「想うこと」が生きている時しか出来なくて、「死にたい」という想いも生きていて思えることである、とか。

だから、悲しいけれど、死にたいとは思えず、今も生きたいなとは思っている。

また、こうして悲しいことがあって、改めて思ったのは、「お金のありがたさ」であった。

お金があれば、死ぬことはないから、病気以外でやはり最強の武器だなと思った。

お金がないと、かなり絶望で死にたい、実際に死ぬだが、自分は親やおじいちゃん世代がそこそこ裕福なので、実質お金で困ることはなくて、それはすごく幸福だなと改めて思った。

・・・・。

・・・・。

また、今回の悲しいニュースで、改めて「すでに自分が持っているもの」「すでに自分が有るもの・有せているもの」のすばらしさ・ありがたさを感じた。

しかしまた、それらも時を経るにつれいずれ無くなり消えていくと思うと、無常だなと思った。

自分がこれから生きていくうえで、何を求めるか。

今回の悲しいニュースで改めて、そこを問う形になった。

基本的にやはり、一番求めたいのは、やはり、「僕が僕であること」であると思う。

自分がやはり、一番大切で、自分らしく、自分が自分を認められるように、自分を出す・表現しないといけなくて、それだとやはり、今の場合だと僕はそれに当たるのが「部活」だと思った。

・・・・。

基本的に、今既に自分が有るもの、つまり日常なる自分を大切にしながら、僕らしい僕を受け入れてもらうために、やりたいこと・自分でいられることに触れていたいなと思う。

・・・・。

・・・・。

・・・。