7月19日「10年前の君へ」

「10年前の君へ」

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7月19日月曜日。時刻は午前5時。(早い!)

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以前から述べている通り、僕は今の日本、もしくは先進国で生きていて、感受性的に最強なのは「20代前後」もしくは「大学生」だと思っている。

それは自分の経験的にもあの頃が、自分の経験的にはかなり最悪な20代前後だったのだけれども、昨日述べた「キューブ理論」・「空間にいることが意味がある理論」をすれば、ただ20代前後を過ごした、もしくは大学生という資格・キューブの中で一定期間時間を過ごしたあの頃の自分が見ていたものこそ、尊重すべきもの、だと思っている。

かといって・・・。

かといって、その、なんていうのだろう、これについての説明はおそらく半年ぐらい前にこのブログ内で述べていたけれど。

感性的には最強なのだけれど、その感性の基づいた「形ある」アウトプット・自己表現が出来ないのがまた20代前後だと思う。

どうしようもなく叫びたいけど、その内なる想いをただ叫ぶこと・形にならないものでしかアウトプット・自己表現出来なかったり。

つまり、想いと行動は一致しないというか・・・。

内面を必ずしも外にそのままに出せない、もしくは自分の内面すら正確に認知出来ていないという方が正しいのかもしれない。

つまり、若い頃に圧倒的に足りてないのは自身の「俯瞰化」・「アウト表現化」。

例えば、おっさんから見たら、彼らが一番凄いと思うのはその「可能性」であったり「未来」であったりする。

例えば、タイムマシーンに乗って未来の自分が過去の自分に何か伝えるとする。お前は未来これこれこうだから今これこれこうしとけと言っても、何のことか分からず「ぽかん」だろう。

(ちょっと話がずれてきた)

自分は何なのか。

何が出来るのか。

何が優れているのか。

何を求めているのか。

その辺りが、20代前後の頃は上手く自己理解出来ていない。

(まあそんなん、おっさんになってもあまり理解出来ていないのだが)

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そういう意味でだから、感性的には20代前後は最強なのに、結局彼らは「浅く」、そして浅いまま、そのままその感性最強時代を終わらせていく。

それが惜しいというよりかは、それが「現実(≒社会」であり、無限とか可能性とかはそれ自体では何の効力も生み出さず、有限になって、否定されて、はじめて確固たる形あるものが生まれたりする。

つまり、20代前後とは感性最強であると同時に、「完全なる虚構」に近いのでは、と思っている。

つまり、すごく20代前後とはフィクショナルめいてるな、と思った。

透明人間というか、膨張し続ける空瓶というか・・・、いずれにせよおっさんから見た「観察対象」としては面白いけど、結局脆いというか、付け焼き刃に過ぎない存在だなと思う。

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話したいことはこれとちょっとずれて。

それで結局、僕は何をしたいのかとか、それで僕は今何をしたいのかとか。

というか本質的なことをいうと、「何故自分がこの部活をやっているのか」について。

おそらく絶対に、この部活は10年前の僕では思いつくことが出来なかったと思う。

(というか、思いついたのも1年前で、それも偶然で、またその1年前も形としてはダメダメで、ようやく1年経った今自分内で納得できる形が決まりつつ、それが内なるものだけでなく実際の具体化したものも出来つつあるのだけれど)

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僕は自分が一番「20代前後の頃の自分が最強」であり、あの頃の僕の想いや感じたもの・見てきたものを信じたいから、これまで生きてきた感がある。

自分の、20代前後の証明。

僕が部活をやる理由の真ん中は、それだと思う。

僕はずっと、自分自身の20代前後を追っている。

あの頃の自分に対しての「解」が、この部活からようやく始まってくれるのではと、今は思っている。

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