「伊集院光のラジオが聴けなくなった理由」
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8月7日土曜日。時刻は午前8時。
この話題、というかこれについて、薄々は自分でも感じていたんだけど、でも何かはっきりとしたものはなくて、だから自分の中では曖昧にしていたんだけど、また今はそうだけどまた変わるかもしれないから、書くの迷っていた。
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僕は以前から、自分の人格形成に及ぼしたもので大きいものは「漫画」であると述べたし、実際そうなのだが、静止画的クリエイティブなもので漫画が一番であったけれど、動画的クリエイティブで言えば、おそらく一番影響というか見ていたものはやはり「お笑い番組」であると思う。
だから、伊集院光に限らず、僕がお笑い番組・お笑い芸人の出ているものを見なくなった、と言ってもいいかもしれない。
特に20歳前後の頃にこの頭痛を発症して、ベッドで横になって目を閉じる時間が長かった僕にとって、伊集院光のラジオは救いだった。
その聴き方に対してはまあ、違法と言えば違法なのだけれど、ニコニコ動画やYOUTUBEに上がっているのを聴いていた。
そこら辺の思い出話を話すのは後にして、何故最近になって伊集院光のラジオを受け付けなくなったとかを話そうと思う。
一番大きいのは「疎外感」だと思う。
というか伊集院光のラジオに限らず、テレビの芸人番組を見なくなった理由もそれなのだけれど。
結局彼らは彼らの世界を楽しんでおり、僕らはそれらを遠くの方からある意味「見せてもらっている」感じで、なんか、そんな遠くからだったら加わらなくてもいいかな、というかそんなの、別に加わっているのにも入ってないなって感じた。
それなら別に、疎外感与えない方で生きたいと思った。
(上手く言語化出来ない・・・)
つまり一度もう、自分の世界を生きようと思ったとか、わざわざ幸せな人の話を聴きに行く必要ないというか・・・。
まずは、自分の世界を満たそうと思った。
伊集院光のラジオを聴いても、僕が生きる僕の世界は変わらないというか、伊集院光は幸せでも、僕の幸せに比例していかないというか・・・。
結局伊集院光は伊集院光の人生を生きており、その人生を聴かされても、僕の人生ではないわけで、自分の人生を生きたいなと思った。
(やっぱり上手く言語化出来ないな・・・。)
何だろう・・・、サーカスに見に行っても、自分はあくまでそのサーカスの「観客」に過ぎないというか、誰かの演技に対しての観客であり続けることが空しいというか・・・。
それならまだ誰も見ていないけれど、自分のドラマのたった一人の観客に、まずは僕はなりたいと思った。
他人が頑張っているサーカスを見続けていても、僕はずっと観客のままだ。
僕はそれが空しいと最近感じていて。
だからもう、サーカスを見るのはやめようと。
それはだから、エヴァを再び見ていない理由とも被ると思う。
今おそらくエヴァを中学生以来見ても、変わらないエヴァの観客に過ぎない僕がそこにいるだけだと思う。
だから、観客としての自分を繰り返しても僕にとっては意味がないから、いいや、的な。
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だから僕は、映画とかドラマとか小説とかテレビ番組(ドキュメンタリー番組、スポーツ番組以外)は今はほぼ見ていない。
そういう意味で、漫画は不思議で、漫画だけはフィクショナルなもので見れている。
それは何だろうと思うが、生身の人間を見たくないのでは?と思う(笑)。
その辺り、観客的な自分になる必要が漫画だとないのか?
分からんけど。
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