8月14日「ストレッチと体幹トレーニングの話と20歳前後の死とか存在とか。」

「1か月ぐらい前から体幹レーニングandストレッチをだいぶやるようになってきた。」

この自分の傾向は、何かすごく、身体的にも精神的にも柔軟になりそうで、個人的にはすごくいい傾向だなと思う。

8月14日土曜日。時刻は午後10時。

ふう・・・。

だから最近、プールに行く回数が減っている。

プールに行くのではなく、例えば筋トレ前後にストレッチや体幹レーニングの時間を増やしている。

こうしたきっかけというのは、数か月前に行き始めたマッサージ屋の店員の一言がきっかけだった。

身体固いですねとその店員に言われて、また腹筋弱いねとも言われた。

僕は1年ぐらい鍛えていて、弱いですかと言ったら、体幹を鍛えた方がいいよと言われて、そこから体幹レーニングとは何ぞやと思って、そこから色々勉強していって、今実践している最中である。

また体幹レーニングと同様、ストレッチの意識も強まって、身体、特に僕は下半身がだいぶ固いらしく、下半身を中心に柔らかくするトレーニングを取り入れているのだけれど、また始めて1か月ぐらいだけれど、このままで出来るだけ続けたいなと思う。

ジムに行かない日でも、夜寝る前、自室で数十分ぐらい時間で最低限ストレッチをやったり。

そうした自分の部屋内でのトレーニング系って、まあ筋トレの場合出来るとしたら自重トレーニングぐらいで、自重はほぼやってないからやってなかったのだけれど、ストレッチなら出来て、またやりたいと思えるやる気があるのはいいと思った。

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ふと最近、自分は20代前半の頃は、30歳まで生きるのを想定しなかった。

何だろう・・・、以前20歳前後の私最強論を述べたが、20歳前後ってそうした最強と自分を思うのと同等に、「すごく死に近い」というか、その辺のことをまた詳しく書きたいなと思った。

その「死の意識の強さ」こそやはり、今でも僕は20歳前後の自分が好きでありその時の自分が最強だと思える。

結局、30を過ぎて今もまだ生きて、健康に気をつかって生きている自分というのは「ダサい」というかしょうもないなと思う。

僕は長生きとかに対して、確かに今は長く生きたいけれど、そこまで肯定していないというか、若くして死ぬ人の方が「美しいな」・「かっこいいな」と思っている。

30以上って結局、ゴミだよなと思う、自分含めて。

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死というのが結局、唯一生に対する解というか、アンチテーゼというか、生を肯定することは僕はあまり出来なくて、生ってやっぱしょうもなくて、確実に、死の方が圧倒的に美しいというか、「優しいな」と思う。

(この辺りの認識については以前ブログで述べたけれど。)

20歳前後の頃は、別に死にたいという思いというより、明日がないというか、大人ではない感覚というか、社会に対する呆れ・つまらなさ・しょうもなさというか・・・。

今の僕はよく、社会こそ一番の仲間であり敵であると述べているけれど、そうした議論こそしょうもなく、そうした社会議論って、「ザコい」なと思う。

すごく人の目を気にしているというか、自分の自信のなさというか・・・。

確かに社会に出ていない20歳前後の方が何も知らない存在なのだけれど、しかしやはり、20歳前後のその知らない存在こそ、何か、美しさを僕は感じてしまう。

社会を知らない美しさというか、社会に対してつまらなさ・しょうもなさを正しく感じられる勇敢さというか、無力さというか・・・。

知らない・分かってない・虚無だからこそ、20歳前後の若者は、美しいと思う。

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(話の前半と後半全然話が違っている・・・)

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